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中村礼子選手

1.北京オリンピック、女子200メートル背泳ぎで、中村礼子選手がアテネに続き、2度目の銅メダルに輝きました。

2.8月16日の朝日新聞夕刊の記事から、過去の足跡を追ってみます。

『①03年秋・・・国際大会で結果が出ずに悩み抜いた末、静岡国体で同じバスに乗り合わせた平井伯昌コーチに、思い切って指導をお願いする。  当時、中村選手は別のクラブに在籍していた。  五輪直前の移籍は異例のことだ。

②04年アテネ五輪・・・100メートルで4位にとどまった。  得意の200メートルは、銅メダル狙いに作戦が変更される。  自分では金メダルを目指すつもりだった。  驚いたが、平井コーチの作戦通り、後半粘って同着で銅メダルを獲得する。

③今年4月、北京五輪代表選考会・・・五輪でメダルが狙えるタイムを出せなかった。  優勝しても悔し涙があふれた。

④今年6月、ジャパンオープン200メートル・・・英スピード社製レーザー・レーサーで臨んだが、日本記録を0秒20しか更新できなかった。

⑤北京五輪、100メートル決勝・・・6位に終わり、平井コーチの前で大泣きした。

⑥北京五輪、200メートル準決勝の直前練習・・・平井コーチに「タイムを上げたい」と訴えた。  慎重な性格で、これまで積極的なレース展開を躊躇(ちゅうちょ)してきた。  でも、どうしてもメダルを取りたかった。  過去の自分を乗り越えたかった。   平井コーチは「タイムを上げさせるのと、自分で上げるのは違う」とメダルへの手応えををつかんだ。

⑦北京五輪、200メートル決勝・・・平井コーチがいつものように送り出してくれた。  「(大事なのは)最後の50メートル、と言ってくれた。  落ち着いていけば大丈夫だと」  粘りきった。  2分7秒13。  日本新。  銅メダル。  「アテネの銅とは喜びが全然違う。  メダルを毎年意識して、つらいこともあったけれど、レベルが上がった北京で戦うことができた」  いくつもの挫折と涙を乗り越え、中村選手の笑みが集大成の舞台で輝いた。』

3.同じ朝日新聞夕刊の記事からです。

『「頑張るということは、もうだめだと思った時が始まり」  座右の銘にしている。  どこで見つけた言葉か、覚えていない。  逃げたくなった時、必ずこの言葉を思い出し、乗り越えてきた。』

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