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(28)昭和58年 第15回大会初日

1.第15回全日本大会は、昭和58年11月12、13日に東京都体育館で開催されます。  翌年の1月20、21、22日の3日間かけて行われる、第3回世界大会の選抜選手権を兼ねていました。  世界大会まで約2ヵ月しかないため、前年の第14回大会の入賞者は、初日はシード不戦勝とされる、113名の変則トーナメントでした。

2.当日の朝、私の自宅で集合し、私が運転して、会場に向かいました。  車中、『ロッキーのテーマ』や『猪木ボンバイエ』を聴きながら向かったのですが、独特の緊張感がみなぎっていました。

会場に着いたら、カメラマンの小林洋さんと会ったので、3人で写真を撮ってもらいました(その後、その写真が雑誌に掲載されるような意味を持つとは、その時点では思いも寄りませんでした)。

3.小笠原は、Bブロックのゼッケン34番で、ブロックの反対側には松井館長がいます。  他のシード選手と違い、松井館長は本人の意思で、1回戦から試合をしていました。

小笠原は、1回戦を判定勝ちした後、2回戦は木元選手と当たり、延長2回引き分け・体重判定で2日目に勝ち上がります。  

4.大西は、Cブロックのゼッケン69番で、ブロックの反対側には、前年まで3連覇している三瓶選手がいます。

大西は、1回戦を上段回し蹴りで一本勝ち、2回戦も下段回し蹴りの合せ一本勝ちで順調に勝ち上がりました。

5.無事に1日目が終了したと思ったのですが、試合後、大西が右足親指の痛みを訴えます。  大事を取って、会場からそのまま東京女子医大病院に直行しました。  レントゲンを撮ってみたら、骨折していることが判明します。  1回戦で右前蹴りを蹴ったときに、何かの拍子で折れたようです。  ギブスで固定して、痛み止めをもらって、帰ることにしました。

6.その後、自宅で食事をしながら、当日の試合を、撮影したビデオでチェックし、解散しました。  骨折ですから、痛みも相当あり、熟睡はできなかったと思います。

7.13日の朝、2人が自宅にやってきました。 大西に聞くと、ギブスで固定したままでは戦えないので、はずしたいとのことでした。  そこで、あまり時間がないのですが、当時、代田橋にあった名倉接骨院に連れて行きます。  事情を話して、簡単な添え木に換えてもらいました(当日の試合では、結局、その添え木も、動きにくかったので、はずすことになるのですが)。    

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