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(30)昭和58年 奥足への下段回し蹴り

1.城西最初の内弟子、大西靖人が第15回大会で、念願の全日本チャンピオンになります。  内弟子になった直後の昭和54年の年末、第1回首都圏交流試合優勝のお祝いにと、大西が頂いた、盧山師範の第5回全日本大会優勝トロフィーには、不思議なことに、「第15回全日本大会優勝」と書いてありました。  それが、4年後に現実となったわけです。  このエピソードは、4月22日のブログでも紹介しました。

2.第15回大会での大西は、決勝戦以外は技有りか一本勝ちでした。  1回戦は上段回し蹴りでの一本勝ちでしたが、それ以外は下段回し蹴りによるものです。  特に、奥足外側への下段回し蹴りが効果的でした。

3.私が入門した昭和46年当時の下段回し蹴りは前足外側を蹴るものでした。  その後、前足内側や奥足内側に対する下段回し蹴りは徐々に使われつつありましたが、奥足外側を蹴るということはありませんでした。

4.その頃、たまたまテレビでキックボクシングを見ていると、ある選手が、サウスポーの相手選手の奥足外側を、右ローキックで蹴っているシーンを目にしました。  後日、本部道場での自由組手で使ってみると、相手が受け方を知らないため、簡単に蹴ることができます。

5.私の場合は、サウスポースタイルに構えなおして蹴るケースが多かったのですが、大西には、突きのコンビネーションから、一歩右足を踏み込んで蹴るように指導しました。  体重94キロのパワーアップした体で、受け方を知らない相手を蹴るのですから、技有り・一本勝ちが多かったのも、終わってしまえば、ある意味、当然の結果と言えるかもしれません。

6.昭和58年11月20日に行われた、第9回首都圏交流試合では、大賀が優勝、五来が準優勝、三和が3位、今(こん)が4位と、全日本大会の勢いのままに、ベスト4を城西の選手が独占します。    5位から8位も、3名が城西の選手でした。

7.翌昭和59年の1月20日からの、第3回全世界大会が目前に迫って来ます。

よい週末を。

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