PREV | PAGE-SELECT | NEXT

有馬頼底老師

1.『無の道を生きるー禅の辻説法』(有馬頼底著 集英社新書)を読みました。  臨済宗・相国寺(しょうこくじ)派・七代管長の有馬老師は、1933年東京生まれで、金閣寺・銀閣寺の住職や、京都仏教会理事長を務められています。

2.本書に書かれている、有馬老師の生い立ちを、番号を付けて紹介します。  

『①私が生まれた有馬家というのは、かの有馬温泉や、競馬の有馬記念ともゆかりのある、大名家・有馬家の分家にあたり、父は男爵、母の実家は、さかのぼれば徳川家康の生みの親につらなる家系、という子爵の家でした。

②私は、学習院の幼稚園の2年目に、思いがけず、皇太子様(つまり今上天皇です)の遊び相手に選ばれ、初等科へと進学します。  ところが、初等科2年の秋に、両親がついに離婚することになりました。  私達3兄弟は、ひとまず九州・久留米にある、有馬家ゆかりの家に預けられ、身の振り方が協議されたのです。  (中略)

③ある日、伯父に、「お前は将来、何になりたい?」と聞かれ、そのころちょうど、一休さんの絵本を読んでいた私は、「一休さんのような人になりたいです」と答えてしまった。  そこで、私は初代久留米藩主・豊氏(とようじ)が、有馬家の菩提寺として建立した寺に、預けられることになったのです。』

3.本書の、『がんとも仲良しになる』の項から、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①あるとき、知り合いがお見えになって、ひどく元気がなかった。  どこか調子でも悪いのかと尋ねると、自分は肝臓がんで、もうじきあきませんのや、とおっしゃった。  こういうとき、下手に大丈夫ですよ、きっと治りますよ、なんていうのは、一番よくない。  (中略)

②ですから私は、「そうか、なら、病気と仲良うしいや」とその方に申し上げた。  するとその方は、私のその一言で、何かが吹っ切れたみたいで、「分かりました!」と帰っていかれました。  次にお見えになったら、えらい元気になっていて、前回会ったときとは別人のようです。  (中略)

③そのうちに、私が大腸ポリープを切除するために入院していると、その方がお見舞いに来てくださった。  (中略)  帰りがけに「管長さん、早く元気になっておくれやっしゃ」 「そやな、あんたも気張ろうな」。  そんな言葉を交わして別れて、それからもう1月しないうちに、なくなったんです。  (中略)  後で、奥様に聞いたら、「にっこり笑って死なはりました」そうです。

④だから、なんでもそう。  気持ちの持ちようです。  心の問題。  今ある現実をどう受け止めるか、です。  落ちこんでいるなら、落ちこんでいる今の自分と、仲良くする。  そうしたらもう、あとは上がってくるしかないわけです。』

4.あるご縁で、何度か、有馬老師に座禅の指導をしていただいたことがありました。  夏の夜明け前の座禅の最中に、眠くなってしまい、老師に「動くな!」と一喝されたことを思い出します(恥)。  

TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT