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飛鳥山と渋沢栄一

1.昭和53年8月に、東京城西支部をスタートさせたのですが、その頃、田端にある郷田師範の道場で、何度か、稽古させていただきました。  夜の稽古の指導を任されたとき、道場生と一緒に、近くの飛鳥山公園までランニングで行き、皆で野天稽古をしたことがあります。

2.昨日、近くを通ったので、懐かしくなって寄ってみたら、渋沢資料館というものがあることを、初めて知りました。  渋沢資料館には、日本の近代的経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840~1931年)の91年に及ぶ生涯と、携わったさまざまな事業、多くの人々との交流を示す諸資料を、展示してあります。  入館して、色々な資料を興味深く、拝見しました。

3.資料館が建つ、飛鳥山公園の一角には、渋沢栄一が1879年から亡くなるまで、初めは別荘として、後には本邸として、住んだ「曖依村荘(あいいそんそう)」があります。  住居等主要部分は、1945年4月の空襲で焼失したそうですが、洋風茶室の「晩香廬(ばんこうろ)」と、書庫である「青淵文庫(せいえんぶんこ)」は現存しており、私も見てきました。

4.渋沢栄一の略歴を、番号を付けて紹介します。  渋沢資料館の案内と、ウィキペディアを参考にしました。  

『①1840年、現在の埼玉県深谷市血洗島の、農家に生まれます。  家業の農業、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、「論語」を始め幅広く書物を読む、好奇心旺盛な少年でした。

②幕藩体制に疑問を抱いた青年時代でしたが、一橋慶喜に仕え、後に、慶喜が15代将軍職に就くとともに、幕臣となります。  そして、慶喜の弟・昭武に随行して、パリ万国博覧会へ行き、ヨーロッパ各地を見聞し、新しい世界に目を開きました。

③明治維新後は、最初は静岡藩、後に大蔵省に仕えましたが、自ら経済活動に携わろうと、大蔵省を去ります。  企業を発展させ、国を豊かにするためには、「論語」を拠り所に、道徳と経済の一致を常に心掛けねばならぬ、という「道徳経済合一説」を唱えました。  

④第一国立銀行(現みずほ銀行)のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上とされています。』

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