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頭の上の蝿も追えぬ

1.事務所の机の上に、何冊かの本が置いてあります。  朝、事務所に着くと、パソコンでメールをチェックする前に、それぞれ1項(約1~2ページ)ずつ、読むことにしています。  

2.『ことたま』(江原啓之著 徳間書店刊)もその一つです。  『頭の上の蝿(はえ)も追えぬ』、と題した項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①日本人はもともと、内観する精神性を持っています。  客観的に自分を見つめて、戒める術(すべ)に長けていました。  ところが、現代はどうでしょう?  今や日本は、一億総評論家時代。  マスコミなどで、連日、有名人のバッシングが、報道されているのが現状です。

②「バッシングの対象となっている人たちについて、どう思うか?」と街頭インタビューする、テレビ番組を観て、びっくりしたことがありました。  「私は絶対に、許しません!」 「本当に、失望してしまいました」などと語る人が、大勢いたからです。

③バッシンングの対象となっている人から、個人的に危害を加えられた、というのならわかりますが、誰かを、許すとか許さないと言えるほど、その人はえらいのでしょうか?  失望したとは、ずいぶん、上から目線の発言だと思います。  失言でバッシングされた、芸能人もいましたが、これまでに失言をしたことがない人、なんているのでしょうか?

④目に余る人がいても、昔の人は「もしかして自分も?」と考え、「自分は気をつけよう」と学びにつなげました。  かっての日本では、人は自分を映し出す鏡だ、というスピリチュアルな考え方が、当たり前だったのです。

⑤たとえ、他人の批判をしてしまっても、「自分の頭の上の蝿も追えないで、こういうことを言うのもね」、と最後は戒めで、悪しきカルマを封印し、言霊(ことだま)のベクトルを、反省へと向かわせていたのです。  (中略)  頭の上の蝿を追える人が少ないのが、現代の実情。  今こそ、この言葉を蘇(よみがえ)らせなくては、日本は、低い波長で埋め尽くされてしまいます。』

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