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(47) 1994年 大山総裁死去

①1994年(平成6年)3月30日、大山倍達総裁は聖路加病院を退院し、自宅に戻られます。

②4月15日、城西の古い弟子である米津等史から大山総裁が聖路加病院に再入院された旨の連絡があります。  当時資生堂の秘書室に勤務していた米津は、1992年ごろより大山総裁の私設秘書のような立場も務めていました。  

③4月19日、米津から連絡が入ります。  大山総裁が肺がんであること、万一の場合に備えて大山総裁が遺言を残されたこと、が主な内容でした。    

④4月22日夜、米津と大西靖人が私の自宅を訪ねてきます。  再入院以降大西も米津と共に大山総裁に付き添っていました。  二人によると、大山総裁の病状は予断を許さない、とのことでした。

⑤4月24日、大山総裁のお見舞いにうかがいました。  鼻や口に管が入っていて、苦しそうにされていました。  そして「(5月の)連休がヤマだ。」と絞り出すような声で私に言われました。

⑥4月26日、不動産関係の講演会で岡山に出張の予定が入っていました。  朝、出ようとすると米津から大山総裁が危篤である旨の連絡が入ります。  そのまま家を出て聖路加病院に向かえば良かったのですが、講演会の講師の代理を探す手配などに時間が掛かり、私が病院に駆けつけると、大山総裁はすでに息を引き取られた後でした。  

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