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(50)1996年 貝沼、全日本バンタム級チャンピオンに

1.現在、城西支部の師範代を務める貝沼慶多の現役時代の映像が一昨日のフジテレビの番組で取り上げられたことは、一昨日・昨日のブログでも書きました。  「相手選手に勝利した直後、コーナーポストからバック転でリングに降り立つパフォーマンスを見せようとして、足を踏み外し、背中から落ちる」という映像です(笑)。

2.そんなお茶目な貝沼先生ですが、1996年(平成8年)に全日本キックバンタム級チャンピオンとなります。  貝沼も城西支部三軒茶屋道場に入門当初は空手の試合に出ていました。  三軒茶屋道場を指導する大賀雅裕が「アクティブJ」というキックボクシングのジムを併設してからキックの試合に出始めます。  「反逆のかませ犬」というニックネームの中堅選手でした(後になって貝沼に聞いたら、このニックネームは自分で考えたそうです)。

3.1996年に入り一度はタイトルマッチに敗れるものの、最終的には念願のチャンピオンベルトを腰に巻くことになります。  貝沼のこの年の戦いを紹介します。

①3月24日(横浜文化体育館)・・・全日本キックバンタム級チャンピオン土屋ジョー選手(谷山ジム)とのタイトルマッチ。  3R(ラウンド)に左フックでダウンを取られ、5R判定負けします。

②5月31日(後楽園ホール)・・・ヨーロッパムエタイ協会ジュニアバンタム級チャンピオンのナンボー選手(フランス・プリゾンジム)とのメインイベント。  出場予定だった土屋選手がケガで欠場したので代役出場を要請されたのです。  試合まで数日しかありませんでしたが、「勝者は7月28日土屋選手との対戦が約束される」との条件だったので出場することにしました。  パンチとロー主体でファイタータイプのナンボー選手に対し、ジャブ、前蹴り、ミドルキックのヒット&アウェー作戦で対応、ポイントをかせぎ5R判定勝ちを収め、7月28日の土屋選手へのタイトルマッチ再挑戦の権利を得ます。

③7月28日(後楽園ホール)・・・中島稔倫選手(大和ジム)との全日本キックバンタム級暫定王者決定戦。  当初予定されていた土屋選手とのタイトルマッチが、土屋選手のケガが完治しないため、暫定王者決定戦に変更になりました。  対戦相手の中島選手は前王者で同級1位です。  ステップワークからのパンチ、キックを繰り出すテクニシャンタイプの選手で、同じようなスタイルを身上にしている選手同士の戦いになりました。  お互いが、打っては離れ、打っては離れの繰り返しで、非常にスタミナを消耗する試合になります。  4Rの膝蹴りがポイントとなり、判定(2-0)で辛くも全日本キックバンタム級暫定王座を獲得しました。

④8月25日(タイ国ラジャダムナン・スタジアム)・・・ チャーサガー・パーラングルップ戦。  9月29日の土屋選手との全日本キックバンタム級王座統一戦が正式に決まります。  チャーンコーチの助言で、タイトルマッチ前に練習と経験をつむため、ラジャダムナン・スタジアムで試合をすることにしました。  2ラウンドでパンチと蹴りのコンビネーションを当てたものの、3ラウンド以降は、チャーサガー選手に肘打ちや首相撲からの膝蹴りでポイントを奪われ、5ラウンド判定負けとなります。  試合後、鏡を見ると相手の肘打ちによる攻撃で、左側頭部がぼっこり腫れていたそうです。

⑤9月29日(後楽園ホール)・・・土屋ジョー選手との全日本キックバンタム級王座統一戦。  「チャンピオンになるには、これが最後のチャンスだ。」と思ったそうです。  朝はランニングとミット。  夕方はスパーリング、ミット、サンドバック、首相撲、補強。  試合の5日前まで毎日トレーニングを行います。  パンチの強い土屋選手に対して、1・2Rは作戦通り、ジャブ、前蹴り、ミドルキックで攻撃を返します。  3R中盤に打ち合いに来た土屋選手に右ハイキックがヒットし、ダウンを奪います。  4・5Rと土屋選手の猛攻をかわし、試合は終了します。  3-0の判定勝ちです。

4.多くの挫折を乗り越え、貝沼は第20代の全日本キックバンタム級チャンピオンに輝きます。  初代チャンピオンは極真会館の偉大な先輩で「小さな巨人」ともいわれた藤平昭雄(リングネームは大沢昇)先輩ですから、土屋選手に敗れた3月24日の試合に続いて会場へ応援に行っていた私にとっても感慨深い勝利となりました。

雨の日が続いています。  よい週末を!

  

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