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磯田道史さん『高橋是清』

1.4月18日の朝日新聞別紙「be on Saturday」の「磯田道史のこの人、その言葉」は高橋是清(たかはし・これきよ 1854~1936)を取り上げていました。  磯田道史(いそだ・みちふみ)さんは歴史学者・茨城大学准教授です。  番号を付けて紹介します。

『①高橋是清は戦前の蔵相・総理大臣。  不遇の育ちのわりに性格が明るく周囲は首をかしげた。  一体、人間は大不幸に遭(あ)うと、楽観的に物を考えられなくなるが、高橋はそうでなかった。

②高橋はその生まれからして波乱。  母は15歳の少女。  奉公先の主人に妊娠させられ高橋を生んだ。  生後3、4日で仙台藩の足軽・高橋家の里子に出され、生母と離された。  生母とは2歳時に一度、お宮の境内で対面したきりである。  9歳になって母の家を探しあてたが、母はすでに世を去っていた。

③1867(慶応3)年、13歳でサンフランシスコに留学。  しかし人を疑わぬ年頃、英語で「何が書いてあるか薩張(さっぱ)りわからない」書き付けにサインしてしまい、奴隷(どれい)に売られた。

④その後も、投資話にのせられて大損。  ペルーの鉱山開発では、家屋敷を売る羽目になった。 

⑤ところが高橋は一貫して楽観主義者で前向き。  それには幼時のある事件が原因していると、本人が『高橋是清自伝』に書いている。

⑥高橋は2、3歳のころ誤って藩主の奥方の前に飛び出した。  しかも奥方のきれいな着物をつかみ「おばさん、いいべべだ」といった。  周囲は顔面蒼白(がんめんそうはく)。  しかし奥方はそんな高橋を可愛いと思ったのか大喜び、しかるどころか色々な品を与えて帰した。

⑦足軽の子が奥方に召されるなど例がない。  足軽長屋の人々から「高橋の子は幸福者(しあわせもの)よ」と言われ続けて育った。

⑧「自分は幸福者だという信念が、その時分から胸中ふかく印(いん)せられ」どんな失敗をしてもいつか自分には運が巡ってくると信じて努力する癖がついたという。

⑨自分は運がいいと思って生きる大切さを物語っている。』

2.見出しで取り上げられている高橋是清の言葉は次のようなものです。

『それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつかよい運が転換してくるものだと、一心になって努力した。』

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