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近藤道生さん『東郷平八郎元帥』

1.4月13日のブログでも取り上げた博報堂最高顧問・近藤道生(こんどう・みちたか)さんが書かれている日経新聞の月次連載『私の履歴書』4月25日分からです。  

2.昭和48(1973)年6月に大蔵省を退官(退官時は国税庁長官)した近藤さんは、昭和50(1975)年7月16日に博報堂の社長に就任します。  ところが、10月3日に博報堂本社は東京地検特捜部の家宅捜索を受けます。  容疑は前社長と側近に対する商法の特別背任です。  翌昭和51(1976)年1月27日、前社長と側近三人が逮捕されます。

3.『私の履歴書』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①昭和50(1975)年10月28日、旧本社の「大教室」と呼ばれる部屋で幹部社員約400人を集めて定例運営会議が開かれた。  (中略)

②そして私は続けた。「いまの博報堂は確かに泥舟である。  私が頑丈な鋼鉄の船に作り替えるから、皆さんは安心して持ち場を守ってほしい。

③日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を迎え撃った東郷平八郎元帥は、旗艦(きかん・・・艦隊の司令官・司令長官が乗っていて、艦隊の指揮をとる軍艦のこと)三笠の艦橋(かんきょう・・・艦船の甲板上に高く設けられた望楼状の構築物で、航行中、操船・通信などを指揮する所)で微動だにしなかった。  戦闘が終わったとき波に洗われた艦橋には、元帥の足跡だけが乾いて残っていたという。

④私も元帥のひそみに倣い(顰みにならい・・・人にならって同じようなことをすること)、決して艦橋から動かない。  よって、各員一層奮励努力していただきたい」』

4.三年ほど前、神奈川県横須賀市の三笠公園に展示されている『三笠』を見ました。  中に入って、東郷元帥が立ち続けたという艦橋にも登ってみました。  船体、艦橋ともに想像していたものよりはるかに小さく感じました。  下の写真はその時買い求めた絵葉書(日本海海戦時の連合艦隊旗艦〝三笠〟前艦橋の図)です。  一番手前、左手で軍刀を持って立っているのが東郷元帥です。  同じ絵が三笠内部の記念館にも展示してあります。


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