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(62) 2003年 大西靖人死去

①2003(平成15)年1月22日(水)、大西靖人が肝臓ガンのため死去します。  

②大西が優勝した第15回全日本大会の直前9月にB型肝炎で約1ヵ月半入院していたことは昨年8月7日のブログで書きました。  その後、肝炎が肝硬変、肝臓ガンへと進行していったのです。  2002年の後半からは京大病院に入院し療養していました。

③年末に大西から「先生、いよいよお別れの時が迫ってきました。」という電話が入りました。  「肝臓ガンが心臓にも転移し、これ以上治療のすべがないので岸和田の知り合いの病院に移ります。」とのことでした。  私は「大西が死ぬわけないじゃないか。  大丈夫だよ。」と話しました。  あの大きくて強い大西が死ぬはずないと本気で思っていました。

④1月に入って大西に付き添っていた尾竹史吉から「大西先輩の状態がかなり悪くなっています。」との連絡があったので、松井館長と二人で1月13日(月)の13時50分羽田発の飛行機でお見舞いに行きました。  16時ごろ病室に入ると大西はベッドに横たわっていて、腹水が溜まっているとのことでしたが、いつも通り冗談を言って皆を笑わせていました。

⑤20時30分関西空港発の飛行機で帰京することにしていました。  2~3時間は病室にいましたが、大西がこれ以上疲れてもと思い、「大西、そろそろ行くよ。  また来るから。  思ったより元気そうで良かったよ。」と言って帰ろうとしました。  その時、私を見た大西の寂しそうな目が今でも忘れられません。

⑥1月22日(水)、尾竹から「大西先輩が亡くなりました。  通夜は24日(金)です。」との連絡がありました。  松井館長と一緒に羽田から飛行機で岸和田に向かいました。  棺桶の中に入った大西を見ると、冷たくはなっているものの体はさほど細くなっておらず、声をかけたら今にも起きそうな様子でした。

⑦今からちょうど30年前の1979(昭和54)年春、浜井良明君(現・中部本部長)に連れられて入門してきたことが昨日のことのように思い出されます。  城西初の内弟子指導員、城西初の全日本チャンピオンと、初期の城西は大西によって作られたといっても過言ではありません。

⑧私とは4歳しか離れておらず、兄弟のように付き合ってきました。  30年を超える城西の歴史の中で残念ながら付き合いの無くなった人間もいます。  大西は最後まで私と共にいてくれましたし、最後まで極真会館の将来を気にかけてくれていました。  

⑨私の人生において、大西靖人という好漢に出会えたことは何事にもかえがたい喜びです。  45歳の若さで無くなった大西の分まで一生懸命生きていこうと思います。  合掌。

良い週末を。  

  

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