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伊藤之雄先生『山県有朋』

1.京都大学教授・伊藤之雄(いとう・ゆきお)先生が書かれた『山県有朋・・・愚直な権力者の生涯』(文春新書)を読みました。

2.ウィキペディアで山形有朋を検索し、抜粋して番号を付けて紹介します。

『①山県有朋(やまがた ありとも)は、日本の政治家、軍人。   

②長州藩に生まれ、高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。  明治新政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。

③官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることの無いように文官試験制度を創設し、後進を育成。

④晩年も陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。

⑤第3代、第9代内閣総理大臣。  伊藤博文とならび明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。』

3.伊藤先生の本の「おわりに」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①山県有朋の人生を一言で表現すれば、「愚直」という言葉がもっともふさわしいであろう。  自分の利害や人気を勘定に入れず、やるべきだと考えることを全力でやる。  それが山県の「愚直」さであり、伊藤博文にも共有されていた感覚である。

②山県の内面を形作る重要な要素は、列強への不信や軍備拡張を求める狂信に近い信念、生涯のほとんど最後まで消えなかった政党や議会政治に対する強い嫌悪感である。  これには同時代の伊藤博文ですらついていけなかったし、いらだちすら覚えた。

③ましてや帝国主義や冷戦の時代が去った現代の私たちの感覚からみれば、強い違和感を覚えるであろう。  これが、太平洋戦争の敗戦以降現代にいたるまで、山県にあまり人気がなかった大きな理由と思われる。

④しかし私は山県を研究し伝記を執筆していく中で、山県の「愚直」さに限りなく惹かれていった。  山県にとって「愚直」さとは、おそらく、幕末・維新の過程で倒れていった多くの志士たちに対する責任感であったろう。』

東京の目白にあるホテル『椿山荘(ちんざんそう)』は山県有朋の屋敷のあとです。  広さ1万8千坪の自宅ですって(笑)。

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