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北康利さん『吉田茂』

『吉田茂・・・ポピュリズムに背を向けて』(北康利著 講談社刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  1946年5月に内閣総理大臣に就任した吉田茂さんは元外交官で、麻生太郎前首相の祖父です。  

『①大平正芳元首相はこう語っている。  「慾のない人は強い。  金も欲しくない。  名誉も望まない。  命も惜しくない。  その人は強い人であり始末に困る人である。  吉田さんはそういう人である。」(『素顔の代議士』)

②1916年、寺内正毅が大隈重信に代わって首相に就任すると、茂は思いを残しながらも(中国から)日本に帰国することになった。  この時寺内は、「俺の秘書官にならんか」と言ってくれたが、「私は首相なら務まると思いますが、首相秘書官は務まりません」と答え、みすみす首相秘書官になれるチャンスを棒にふっている。  確かに彼は指揮官にはなれても補佐官には向いていないだろうが、それを本当に口に出す人間も珍しい。

③(英国大使時代に)茂の見事な動きに感動した(一等書記官の)加瀬が、報告書を外務省に打電しようと思い、前もって茂に見せたところ、「報告するのはやめておこう。  外交官というのは功を求めずに縁の下の力持ちをもって甘んずるべきものだよ」と静かに制したという。  (中略)  彼は意外にも目立つことを好まなかった。

④実際に食料支援を開始してみると、日本側要求の450万トンも必要なく、70万トンほどで国内に十分な食料が行き渡った。  このことに腹を立てた(占領軍・最高司令長官の)マッカーサーは茂を呼んで詰問した。  (中略)  茂はにっこり笑って、「もし日本が正しい数字を出せる国だったら戦争に負けてなどいませんよ」と開き直った。

⑤(対日講和の実務責任者のダレスとの交渉の際)トップが強運の持ち主であるかどうかは、ついていく者にとってとても大切なことだ。  戦場においては、それが生死さえ分けかねない。  そしてこの時、茂は怖いほどの運を味方につけていた。』

2007年11月30日のブログでも『吉田茂のユーモア』というタイトルで吉田茂を取り上げました。  なかなか味のある人物だったようですね。

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