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加藤陽子先生『太平洋戦争』

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著 朝日出版社)を読みました。  東京大学文学部教授の加藤先生の専攻は日本近現代史です。  加藤先生が栄光学園の生徒(歴史研究部のメンバーを中心とする中学一年生から高校二年生までの約20人)に、冬休みの5日間にわたって講義を行いました。 テーマは日清戦争から太平洋戦争までの日本史です。 本書はその内容を本にしたものです。  『第5章 太平洋戦争』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①敗戦後に東大総長になる政治学者・南原繁(なんばらしげる)は、開戦の日(1941年12月8日)に「人間の 常識を超え 学識を 超えておこれり 日本 世界と戦う」という短歌を詠(よ)む。  意味するところは、人間の常識を超えて、学問から導かれる判断をも超えて戦争は起こされた、日本は世界を敵としてしまった、との嘆きです。

②学識、つまり学問から得られる知見からすれば、アメリカと日本の国力の差は当時においても自覚されていました。  たとえば、開戦時の国民総生産(GNP)でいえばアメリカは日本の12倍、すべての重化学工業・軍需産業の基礎となる鋼材は日本の17倍、自動車保有台数にいたっては日本の160倍、石油は日本の721倍もあった。

③こうした絶対的な差を、日本の当局はとくに国民に隠そうとしなかった。  むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂(やまとだましい)なのだと、精神力を強調するために国力の差を強調すらしていました。

④このときすでに戦争をしていたドイツとソ連の間を日本が仲介して独ソ和平を実現させる。  ソ連との戦争を中止したドイツの戦力をイギリス戦に集中させることで、まずはイギリスを屈服させることができる。  イギリスが屈服すれば、アメリカの継戦への意欲が薄れるだろうから、戦争は終わると。 

⑤すべてがドイツ頼みなのです。 またイギリスが屈服すれば、アメリカも戦争を続けたいと思わないはずということで、希望的観測をいくえにも積み重ねた論理でした。

⑥アメリカは総動員体制に入ったあと、兵器の大量生産という点でものすごかった。  1939年の時点では、アメリカは飛行機を年間で2141機しかつくれませんでした。  それに対して日本は2倍以上、年間で4467機を製造する能力があった。

⑦1941年の時点でのアメリカの製造能力は1万9433機、日本は5088機で、アメリカは日本の4倍もの生産能力を獲得している。  そして、この比率は1945年(8月15日に終戦)まで変わりません。

⑧アメリカという民主主義国家が売られたケンカを買ったときに、いかに強くなるかがわかりますね。  日本側の予測をはるかに超える事態でした。』

私がこの一年間に読んだ本の中で一押しです。  よい週末を!

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