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石原莞爾先生と大山倍達総裁

1.『Yahoo!百科事典』で石原莞爾先生について検索しました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①石原莞爾(いしはらかんじ 1889-1949)   陸軍軍人(中将)。  

②1920年に日蓮(にちれん)主義の思想団体『国柱会(こくちゅうかい)』に入会し、日本をアジア、さらには世界の盟主とするという使命観を得た。

③28年に関東軍主任参謀となると、この観点から満州事変、『満州国』創設、日本の国際連盟からの脱退などを推進した。  35年参謀本部作戦課長となり、翌年の二・二六事件の鎮圧にあたる。

④『帝国軍需工業拡充計画』など総力戦体制構想を立案したが、日中戦争が勃発(ぼっぱつ)して実現は阻まれた。  その後東条英機(とうじょうひでき)と対立して41年3月第一六師団長を罷免され、太平洋戦争中は右翼団体『東亜連盟』を指導した。』

2.『陸軍の異端児 石原莞爾』(小松茂朗著 光人社)の中に1940年暮れの満期除隊予定者に対する石原先生のあいさつがありますので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①諸君は昭和14年(1939年)1月に入隊、基本訓練をすませて、中支に派遣中の師団に配属された。  そして短期間であったが、弾丸の飛ぶ戦場で実戦を体験した。  それから約1年半、この師団長(石原先生自身のこと)のもとで、一生懸命に訓練と諸勤務に専念した。

②師団長は決して、精鋭無比な諸君を忘れはしない。  本当によく頑張ってくれた。  その労苦に対して言葉に言い表せないほど感謝している。  ほんとうにありがとう。  それぞれ故郷に帰ったら、親御さんたちに、師団長がくれぐれもよろしくと言っていたと伝えて欲しい。

③官舎の方には、気兼ねなく遊びに来てもらってかまわん。  私と君たちの人間関係は、永遠につづくのだ。  師団長の方も個人的に、よろしくご指導のほどをお願いする。  では、みんな元気で・・・さようなら』

3.大山倍達総裁も、空手の師である寧柱(そうねいちゅう)先生を通して石原先生とは親交がありました。  

1947年5月の極東軍事裁判・酒田(山形県)臨時法廷に証人として出廷する石原先生を乗せたリヤカーを引く青年の中に、若き日の大山総裁もいたとのことです。  

先日、城西の古くからのメンバーである井出真先生から問い合わせがあったので、『大山倍達正伝』の著者である小島一志さんと塚本佳子さんに確認したところ、事実でした。

※携帯では寧柱(そうねいちゅう)先生の「(そう)」の文字が表示できないようです。

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