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福原義春さん『孔子と老子・荘子』

資生堂の元会長・福原義春さんが書かれた『だから人は本を読む』(東洋経済新報社)を読みました。  孔子と老子・荘子についての記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①孔子の『論語』は、どうも説教じみていてかえって納得できない感じがある。  つまり教条的なので、そこでは寛容さや遊びが全く感じられない。  

②やがて老子に出会い何かストンと落ちるものがあった。  老子の言葉として伝わっている文章はそれほど多くはない。  しかし無知無欲と無為自然が根本であり、それがいかに大切かを繰り返し説くのだ。

③荘子の方はテキストが大量であるが、根本の思想は一つである。  歴史の始めを説く混沌の物語から始まって無為を天地自然の理と考える。

④孔子の『論語』は秩序を重んじ、非常に規範的であり、かつ自己充実的で、良くいえば建設的である。  これはプリンシプル(思考・行動の原理)に近く、それに比べて荘子がいっているのはフィロソフィー(根源的な哲学)なのだと思う。

⑤だから、少なくとも孔子を唯一の規範として頼り切ってしまうというのは、物事のある一面的な見方であり、人間の本質に迫りきれないのではないだろうか。  だからこそ、老子・荘子を読むことにも挑んで、ものの考え方、人生のとらえ方には、さまざまあることを知ったほうが良いと思うのだ。

⑥今の世の中に通用するのは老子であり、近未来の社会に通用するのは荘子ではないか、と考えるに至ったのは、かなり以前のことになる。  老子の言葉の多くは、孔子の金言に対する裏読みであり、皮肉であり、逆説であり、また逆転思考・水平思考の混合であるといえる。

⑦だから孔子が勉強に努めなさいといえば、老子はものを識っていても、ひけらかしてはいけないと諭すのだ。  孔子が成功の道を説けば、成功におごって安住してはいけないよと、説くのである。

⑧さらに荘子を読むに至って、私は「これだ!」と思わず軽い興奮を覚えた。  荘子はさまざまなエピソードを通じて、いかに地位や名声を欲することが無駄であり、無欲が大切であるかを説いた。  

⑨また世の中に有用と無用の区別などなく、地位や境遇の違った対立、上下関係なども、見かけだけのことで、結局は一つの根源的な「道」に戻っていく。  荘子にはプラスもマイナスも、正も逆もない。  すべてが生命ある無秩序で、それを包み込むのが「道」なのだろう。』

私の座右の銘(ざゆうのめい・・・常に自分の心にとめておいて、戒めや励ましとする格言)の一つが老子のいう「無為自然(むいしぜん・・・人為的な行為を排し、宇宙のあり方に従って自然のままであること)」です。

東京も寒い日が続いています。  風邪など引かれませんように。  良い週末を!

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