PREV | PAGE-SELECT | NEXT

渡辺政隆さん『ダーウィン』

1.昨年の6月30日のブログで『種の起源』(ダーウィン著 八杉龍一訳 岩波文庫)を紹介しました。  昨年はダーウィンの生誕200年に当たるそうで、サイエンスライターの渡辺政隆さんが『種の起源』の新訳を光文社古典新訳文庫から出されました。  上巻の巻末で渡辺さんが書かれた『ダーウィンの人となり』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①チャールズ・ロバート・ダーウィンは、1809年2月12日、イングランド西部、ウェールズとの国境に近い小さな商業都市シュルーズベリで、二男四女の五番目、二男として生を受けた。  父親は裕福な開業医で、母親は有名な製陶会社ウェッジウッドの創始者の娘という家柄である。

②昆虫採集や魚釣りが好きな少年で、五歳上の兄といっしょに薬品を買い込んで化学の実験を楽しんだりもした。  家業を継ぐべく、十六歳でエジンバラ大学の医学部に入学した。  しかし、麻酔なしで行われる手術を見学し、患者の苦痛と血を見ることに耐え切れず、一年半で退学することになる。

③医学の道を断念したダーウィンは、半年後にケンブリッジ大学に入学し直し、田舎牧師という職を目指すことになった。  敬虔な信徒というわけではなかったが、世間体からも、自然史学の研究に好きなだけ時間を割けるという点からも、妥当な職業選択と判断されたのだ。

④大学をまあまあ優秀な成績で卒業したダーウィンは、まだ見ぬ熱帯を訪れる計画を夢想していた。  そこに英国海軍測量艦ビーグル号乗船の誘いが舞い込む。  航海は最終的に五年間に及んだ。  初めて目にした熱帯に歓喜し、不思議な生き物、謎の化石、美しいサンゴ礁等々に目を見張った。

⑤航海中の出来事は、どれもみな意識の変革を迫る体験だった。  そして、神による天地創造を信じて乗船した青年は、この世の生きものは神によって創造されて以後に姿を変えることはなかったとする創造説に疑念を抱く進化論者として下船することになった。

⑥しかも、出航の時点では無名の青年だったダーウィンは、旅先から送った膨大な標本と観察日誌により、帰還時には学会の寵児となっていた。  だが、それが逆に、ダーウィンには思わぬ重荷となってのしかかる。  

⑦自分を評価してくれる学会の名士たちは、いずれもみな創造論者である。  ところが自分は、邪説とされる進化論を心の奥で育んでいる。』

2.私のブログで何度も紹介させていただいている、公認会計士・本郷孔洋先生のメルマガ『ビジネスの眼』の先週末分のタイトルは『国力もやっぱり心理学?』でした。  その「まくら(・・・前置きの言葉のこと)」が面白かったので紹介します。

『いつもご愛読ありがとうございます。

 友人と別れ際、突然何を言うつもりか思い出せなくなりました。
 後で思い出しましたが、「じゃあまたね」でした。  相当やばい(笑)

 来週もよろしくお願いします。』





TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT