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田中利典さん『修験道と現代』その1

1.昨日の日経新聞夕刊に金峯山修験本宗宗務総長・田中利典さんのインタビュー記事が載っていました。  タイトルは『修験道と現代』です。  奈良県吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)は修験道(しゅげんどう・・・山林に修行し、密教的な儀礼を行い、霊験を感得しようとする宗教)の本山です。  長文になるので二回に分けて、抜粋し番号を付けて紹介します。

『①「宗教」とはそもそも、明治になって英語のレリジョン(religion)を翻訳した言葉ですよね。  ですから、この語は欧米が宗教をどうとらえているかを反映している。  それは唯一絶対の神を持つ一神教にこそ価値があるという考え方です。  もちろん日本も古来、信仰、信心がありました。  しかし唯一絶対の神はいなかった。

②お宮参り、初詣で、墓参り、結婚式、葬式。  生まれてから死ぬまで宗教に触れていながら、尋ねれば「私は無宗教」と答える人が多い。  無宗教とは宗教的なものにかかわらないということです。  日本人は無宗教ではないのに、一神教の立場からは、いいかげんに見えてしまう。

③私は風俗になっているものこそ宗教だと思う。  あれもよい、これもよい、ごった煮で大ざっぱなものを欧米では宗教とは呼ばない。  でも日本では宗教です。  卑下する理由はありません。

④自然を神、仏そのものだと感じて畏(おそ)れる。  こうした心のありようは明治以降、次第に壊され、忘れられてきました。  神仏をともに大切にし「ご先祖さまに顔向けできない」とか、「お天道さまが見てござる」と言って、自分を超えたものに価値を見いだす。  そういう倫理観が昔はあった。

⑤ごった煮で大ざっぱな宗教心は、猥雑(わいざつ・・・雑然として下品なさま)に通じる。  その猥雑性が修験道にはある。  修験道は日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教などの思想が融合してできあがった。  山の宗教、山伏の宗教であり。  山修行という実践を旨とする宗教であり、大自然のそこかしこに聖なるものを見いだす多神教の宗教である。』

2.『新入社員:「部長、出世のコツは?」
 
部長:「君の腕時計を売って、目覚まし時計を買うことだよ」』

(本郷孔洋先生のメルマガ『ビジネスの眼』本日配信分より)

よい週末を。

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