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北方謙三先生

1.『児玉清の「あの作家に会いたい」』(PHP研究所刊)を読みました。  児玉清さんと25人の作家との対話集です。  北方謙三先生との対話の項から抜粋して紹介します。

『(北方)仲間と同人誌を立ち上げたら、そこに書いたものが『新潮』に転載されて、いきなり〝大学の星〟ですよ。

(児玉)それで、そのまま作家になられたわけですか。

(北方)『新潮』の編集長から「君は大江健三郎以来の学生作家だ。  天才だ、頑張れ」と言われましてね。  で、何の疑問も持たずに純文学をやろうと思ったわけです。 

(児玉)就職せずに最初から筆一本で食べていこうと思われたというのが、すごいですね。

(北方)でも、いつまで経(た)っても認められない。  十年してようやく、「俺は天才じゃない。  ただの石ころだ」と気づいた。

(児玉)その間も、たくさん書いてこられたわけでしょう。

(北方)自分の背丈を越えるくらいの枚数の原稿用紙を文字で埋めました。  でも、発表できたのはたったの四編です。

(児玉)そんなにご苦労されていた時代がおありだったとは。  年齢的にも三十を過ぎて、焦りも相当なものだったでしょう。

(北方)同期に中上健次がいたんですが、彼は文学として表現せねばならない叫びを一杯抱えていて、小説を書くために生まれてきたような人間でした。  僕のほうが流麗な文章を書くし構成もうまいのに、僕はそこまでして書かなければならないものがなかった。  それが、当時の敗北的な自覚でした。』

2.①北方先生は掌道鍼灸整骨院の菊澤院長の古くからの患者さんです。  その縁で10年ほど前に紹介していただきました。  私が中央大学の後輩であることが分かると、その時から「山田」と呼んでいただいています。

②一年ほど前、松井館長と川島智太郎と一緒にある寿司屋に入ったところ、偶然、北方先生がいらっしゃいました。  その席でも「山田」と親しげに呼びかけていただきました。

③ところが同じ中央大学出身の松井館長には「松井さん」と話しかけられます。  酔った勢いもあって「先生、館長には『さん付け』で私は『呼び捨て』ですか。」と冗談を言いいました。

④すると北方先生は「だって、山田は100人組手をやっていないだろう。」と言われました。  納得(笑)。

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