PREV | PAGE-SELECT | NEXT

海原徹先生『高杉晋作』

1.5月30日の「山口支部長継承式」の前日・5月29日に萩市の「松下村塾」、美東町の大田・絵堂戦跡、下関市長府の「功山寺」に行きました。  そのことや高杉晋作については6月1・2日のブログで書きました。

2.その直後の6月8日、新しく内閣総理大臣となった菅直人さんが就任記者会見で「新内閣を『騎兵隊内閣』と名付けたい」と話されました。  6月9日の新聞記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「奇兵隊内閣と名付けたい」。  菅直人首相は8日夕の就任記者会見で、幕末の志士の高杉晋作が創設した武士と庶民の混成による軍隊「奇兵隊」になぞらえて、新内閣を命名した。

②高杉は長州藩の出で、山口県出身の首相が尊敬する人物に挙げる。  首相は「果断な行動を取って、まさに明治維新を成し遂げる大きな力を発揮した人だ」と称賛。  

③その上で「幅広い国民の中から出てきたわが党の国会議員には、奇兵隊のような志を持って勇猛果断に戦ってもらいたい」と、各閣僚の仕事ぶりに期待を示した。』

3.先週末に『高杉晋作』(海原徹著 ミネルヴァ書房刊)を読みました。  「軍事的天才としての高杉晋作」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①品川弥二郎が松下村塾の三傑といわれた久坂玄瑞、入江九一、高杉晋作の人物月旦(げったん・・・人物の批評のこと)をしたさい、「久坂の才学」 「入江の胆識」 「高杉の気迫」と言いながら、晋作は学問では久坂に劣り、識見では入江に及ばないが、冷静沈着に状況判断し、機を見て一挙に決断する勇気は、誰にも引けを取らない。  

②また一旦事を起こせば、どのような困難や障害があろうとも、断固としてこれをなす実行力は、彼の真骨頂であったという。  

③品川はまた、「小心にして大胆」、これが彼の本領だともいっており、晋作を決して猪突猛進する玉砕型の猪武者とは見ていない。

(2)生死を懸けた戦争という非常事態がまさにそうであるが、晋作は、危機的状況に直面し、絶対絶命の境地になればなるほど、ますますその才能を遺憾なく発揮した。  ある意味で、そうした危機にもっとも強い、困難な状況に耐えられるタイプの人間であった。

(3)敵の機先を制し、意表を衝く戦法を次々に繰り出す、臨機応変、縦横無尽に兵を進退させる用兵の妙という点で、指揮官としての晋作の能力は、しばしば日本史上の英雄、一の谷の合戦で勇名を馳せた源氏の大将・源義経、あるいは桶狭間(おけはざま)の奇襲に成功した織田信長とよく比較される。  場面や状況は必ずしも同じではないが、彼らにも勝るとも劣らない天才的武将の一人であったことは、誰しも認めるところであろう。』

TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT