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安田善次郎

旧安田財閥の創業者・安田善次郎の伝記を二冊読みました。  『陰徳を積む』(北康利著 新潮社刊)と『儲けすぎた男』(渡辺房男著 文芸春秋社刊)です。

1.ウィキペディアで「安田善次郎」を検索してみました。

『富山藩における下級武士(足軽)善悦の子としてうまれる。  1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。  最初は玩具屋、ついで鰹節兼両替商に勤めた。  やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)を次々と設立し、金融財閥としての基礎を築く。  前衛芸術家オノ・ヨーコの曽祖父にあたる。』

2.『陰徳を積む』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①彼が亡くなった大正10年当時の資産は2億円を超えていたと言われている。  大正10年の年間国家予算は15億9100万円。  国家予算の実に8分の1に相当する富を一代で築いた個人資産家など、我が国の長い歴史をかえりみても空前絶後である。

②安田財閥の規模と存在感は、戦後の芙蓉グループなどまったく比較にならないほど大きかった。  三井や三菱との違いは、それが銀行を核として結束した企業グループであった点にある。

③忠兵衛(後の善次郎)は日常の心構えからしてほかの奉公人とは少し違っていた。  人の出入りが激しい店の土間には、いつも沢山の履き物が乱雑に脱ぎ捨てられている。  店員たちは忙しいものだから、言いつけられるまでそれを直そうとはしない。  だが忠兵衛は誰に言われずとも、仕事の合間を見つけてはそれらをそろえた。  外に出掛ける時にちょっと直して出る。  帰って来るとまた直す。  店員の下駄でも番頭の下駄でも、皆同様にそろえておく。

④紙屑や布の切れはしなどが落ちていたら、拾って屑かごに入れる。  彼は誰も見ていないところでも、こうしたことが自然とできるのだ。  〝陰徳を積む〟ことを尊ぶことは、父・善悦の教育の賜物であった。』

3.『儲けすぎた男』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①安田銀行は戦後富士銀行と名を変えて再出発したが、現在、その富士銀行も第一勧業銀行、日本興業銀行と合併し平成12年(2000年)にみずほ銀行として生まれ変わっている。  かって安田財閥に属していた企業は、現在、このみずほ銀行を中心とする企業集団の一員として命脈を保っている。

②この企業集団は、富士銀行の社名である「富士」の古語読み「芙蓉」にちなんで芙蓉グループと呼ばれ、旧安田財閥を中心として、戦前の旧浅野財閥、旧大倉財閥、旧根津財閥、旧日産コンツェルン、旧森コンツェルンなどに所属していた諸企業で構成されている。

③今でも創業者・安田善次郎の姓を冠しているのは、明治安田生命、安田倉庫などわずかである。  しかし、少数となったとはいえ、「安田」の名を留めた企業の存在は、変革の時代を生き抜き、そして激動の時代に倒れた大経済人・安田善次郎の姿を今なお忍ばせてくれる。』

暑い日が続いています。  よい週末を。

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