PREV | PAGE-SELECT | NEXT

白河の水の清きに耐えかねて

江戸時代の寛政年間、十一代将軍徳川家斉の時代に「白河の水の清きに耐えかねて元の濁りの田沼恋しき」という狂歌がはやりました。  『歴史探検』というサイトから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「寛政の改革」はいわゆる「田沼政治」(十代将軍徳川家治の側用人から老中に出世した田沼意次(たぬまおきつぐ)が政治活動を展開した時期)の腐敗を正そうとして白河藩主・松平定信が推進した改革でした。  改革を開始した1789年が寛政元年だったことから、「寛政の改革」と呼ばれています。

②田沼時代は「金が物を言う時代」と言われるほど賄賂や接待が横行していました。  こういう状況で老中に就任したのが精錬潔白な松平定信でした。

③松平定信は老中に就任すると新将軍徳川家斉の許で改革に着手しました。  定信は田沼意次を罷免すると田沼派を一掃、その処罰は公職から一切追放するという厳しいものでした。  こうして頽廃していた幕府重役たちを一掃したことによって、江戸市民も定信の登場を歓迎しました。

④しかしあまりにもクリーンな政治を目指していた松平定信は細かいところにまで制限を加えるようになり、ついに改革に期待していた江戸市民も反発するに至りました。

⑤そしてついには、かつての「田沼政治」が懐かしいという次のような狂歌まで詠まれる始末です。

「白河の水の清きに耐えかねて元の濁りの田沼恋しき」

⑥こうして「寛政の改革」は終焉を迎えました。  定信があまりにもクリーンな政治を目指し過ぎて、将軍家斉の考えにまで反発して疎まれ、これを直接の原因として失脚、1793年(寛政5年)に辞任しました。』

TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT