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小島英記先生『チェ・ゲバラ』

『第二の男』(小島英記著 日本経済新聞出版社刊)を読みました。  「七話 チェ・ゲバラ」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①フィデル・カストロの(キューバ)バチスタ政権打倒計画は無謀に見えた。  その強固な意志によって、1956年3月を目標に進めるが、多くの障害で計画は遅れる。

②予定を大幅に過ぎた11月25日、(メキシコからキューバへの)出航にこぎつけた。  同志1人が逮捕され82人になった彼らが武器とともに乗ったヨット「グランマ号」は、なんと8人乗りの小舟だった。

③カストロは病気を押して指揮をとり、みんな意気軒昂だった。  カストロはデッキで叫ぶ。  「1956年、われわれは自由をかちとるか、さもなくば殉教者となるだろう」

④グランマ号は12月2日、やっとの思いで目的地のニケロ近くに上陸。  バチスタ政府軍の飛行機に追われて沼沢地に逃げ込む。  シエラ・マエストラの最高峰トルキノ山頂をめざすが、政府軍に急襲され、チェは首に銃傷を負う。  

⑤苦労してカストロ本隊と合流したときの生存者はわずか17名だった。  しかし、カストロは言う。  「これで、バチスタの命数はつきたようなものだぞ。  おれたちはきっと勝つ」

⑥この楽観ぶりにチェも驚いた。  のちにキューバを去るとき、カストロに送った別れの手紙に、率直な言葉がある。  「ぼくになんらかの誤りがあったとするなら、それはシエラ・マエストラの初期のころ、きみにじゅうぶんな信頼をおかなかったことと、指導者ならびに革命家としてのきみの資質をさほど早く理解しなかったことだ」

⑦従軍していたパリ・マッチ誌の特派員エンリケ・メネセスが書いている。  「もしフィデル・カストロが夢をみることができるとしたら、チェ・ゲバラはそれらの夢を、少なくともそのいくつかを現実のものに変えることのできる男だというのが、その当時の私の感じであった」

⑧59年1月1日、バチスタ大統領は(首都)ハバナから大統領特別機でドミニカ共和国に向けて逃亡した。  翌日、(チェが司令官を務める)第8軍はハバナ入城。

⑨6月、カストロ首相の特使としてアジア、アフリカ諸国へ出発する。  エジプトのナセル大統領、インドのネール首相を訪ね、7月には訪日。  池田隼人通産相らと会談し、工場見学をする一方で、広島の原爆慰霊碑に花束を捧げる。

⑩「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹がたたないのか」と言った。  日本政府の対応はむしろ冷たかったが、チェは日本が原爆の惨劇から蘇り、工業力で立ち直ったことを評価したようである。』

明日から10日まで仕事で中国の青島(チンタオ)、12~17日まで娘の結婚式でハワイ・オアフ島です。  

最近、海外に行ってなかったのですが、いきなりインターナショナルな10日間です(笑)。

次は18日の週にお目にかかります。  では、また。

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