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講道館・上村春樹館長

1.11月6日土曜日の朝日新聞別紙で講道館の上村春樹館長が取り上げられていました。  上村館長は柔道全日本チャンピオン(2度)・世界チャンピオン・モントリオール五輪金メダリストでソウル・バルセロナ両五輪の男子監督も務められました。 09年に第5代講道館館長、全日本柔道連盟会長に就任されています。  


2.記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①熊本で生まれ育った幼き日の自分を「背は低く、力がなく、スピードがなく、根性もなかった」と振り返る。  幼稚園時代から肥満体形。  小学時代に100メートルを走った20秒フラットは、当時の担任教師によると「あまりにも遅くて、誰も抜けない記録だった」という。

②76年モントリオール五輪の柔道無差別級で金メダルを手に入れるまで強くなった。  成功の秘密は「じっくり考えてやってみる」という姿勢にある。

③伸び悩んだ時の逸話もある。  道場の壁にかかった「技の系譜」を見つめ、ふと思った。  「柔道の技は前と後ろへの動きばかり。  みんな横への動きには弱いのではないだろうか」  ひらめいたあとは、研究と練習。  相手を横に崩し、技をかける動きは得意の戦法となった。

④モントルオール五輪の監督、醍醐敏郎さんはこう振り返る。  「相手の体形、技、動きをよく観察する選手だった。  試合展開や流れもよく見ていた。  自分の得意技を極めるタイプと、相手に応じて技をかけるタイプがいるが、彼は後者だった」』


3.インタビューから抜粋して紹介します。

『――柔道家として忘れられない出来事は何ですか。

 明治大学に入学後、最初の試合で絞め技で落ちて(気絶して)しまったんです。  目を開けたら畳の上に仰向けに寝ていて、会場の人たちがみんな私を見下ろしていた。  大志を抱いて熊本から東京に出てきたのに、柔道家としては最もしたくない負け方をしてしまった。  「もう柔道をやめよう。  熊本に帰ろう」と思いましたね。


――それでも残ったのは?

 当時監督だった神永昭夫先生が「素質のない人間は人の2倍、3倍練習しないとチャンピオンになれないぞ」と声をかけて下さった。  普段ならそれほど深く考えない言葉だと思います。  でも会場の隅でタオルをかぶり、うつむいていた私の心には響いた。  といっても、人の2倍や3倍の練習なんて現実には無理です。  そこで毎日20分間だけ、人より多く練習するよう自分に課したわけです。  これなら自分にもできるぞ、と。』

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