PREV | PAGE-SELECT | NEXT

203高地と魔都・上海

17日(火)から22日(日)まで仕事で中国に行ってきました。  宿泊は17日・大連、18日・青島、19日・上海、20日・蘇州、21日・上海です。  大連旅順の203高地と上海について書いてみます。

1.203高地
17日の夕食前に203高地を案内していただきました。  海抜203メートルにあることから名付けられたそうです。  旅行ガイドブックから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1904年、日露戦争が始まると、ロシア軍の基地(軍港・要塞)があった旅順に日本軍が攻め込んだ。  

②乃木希典将軍率いる日本陸軍第三軍は、同年8月に第1回総攻撃を仕掛けたが失敗し、1万5000人もの死傷者を出すほどの多大な被害を受けた。  

③2度目の総攻撃も失敗したが、それでも11月26日に3度目の総攻撃を開始し、乃木将軍の次男・保典が戦死するなどしたが、12月5日にようやく203高地の奪取に成功した。』

『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)にも出ているので知識として知ってはいました。  しかし、現地で乃木保典戦死の場所などを見てみると、実感として胸に迫るものがありました。


2.魔都・上海
21日にお世話になった上海森ビルの吉村総経理から上海日本商工クラブ会報・2011夏版をいただきました。  その中で吉村さんが『上海の発展史を紐解く』という文章を書かれていますので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1862年(5月6日)、高杉晋作が上海を訪れた。  「上海には欧州諸国の商船軍艦数千隻が停泊し、マストが林立、港を埋めんばかりなり。  陸上には商館白壁千尺を連ね、あたかも城壁の如し」と日記に記載している。

②現在の外灘(ワイタン、英語名:The Bund)に並ぶ歴史的建造物が建設されたのは1920年代であるが、1923年に上海を訪れた村松梢風が「上海旅行記」で初めて〝魔都上海〟の表現を用いている。

③現在の上海の発展を語るとき、その原動力となったのは、浦東(プードン)開発と言って間違いないだろう。  我々森ビルが初めて浦東地区を訪れたのは1993年。  当時は金融貿易区も幹線道路もなく、工場や労働者向けの住宅があり、開発区造成のための解体工事が一部進んでいた。

④上海の地下鉄1号開通は、1995年である。  現在の総延長距離は420km、東京の地下鉄の総延長距離301kmを遥かに超える。  驚くべきことは、わずか15年あまりの年月でこれだけのインフラを整えてしまった上海のスピードと底力である。』

『世に棲む日日』(司馬遼太郎著)にも高杉晋作の上海行きが書かれています。  

上海森ビルの植木副総経理の説明によると、上海市の面積は東京都と埼玉県を合わせたぐらいで人口は二千四百万人だそうです。  

上海森ビルが手掛けた上海環球金融中心ビルの地上100階を超える展望台には足がすくみました。  帰国の際に乗ったリニアモーターカーでは時速430kmを体験しました。    


TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT