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猪谷千春と大西靖人

1. 1956年に日本人として初めて、冬季五輪で銀メダルをとった猪谷千春IOC副会長のインタビューが、昨日の朝日新聞夕刊に載っていました。  五輪の2ヵ月前に右足をねんざしたそうです。

 「 内出血して1週間は松葉づえをついていました。  1ヵ月は満足なトレーニングができなかった。  そりゃ焦りますよ。  でも、右足を使わないトレーニングはいろいろできるんです。  腹筋運動とか。

 もし、けがをしなかったら金メダルが取れたかもしれない。  別な言い方をすると、けがのおかげで銀メダルがとれた、と。  体が万全だったら練習をしすぎて、オリンピックのころは下降線に入っていたかもしれない。  

 これはもう神のみぞ知る、でね。  まさに人生ですよね。 」

2. 記事を読んで、大西靖人のことを思い出しました。  浜井良顕本部長の法政大学の後輩で、1979年に入門してきた大西は、城西の内弟子指導員第1号でした。

 身長183センチ・体重94キロと体格に恵まれ、1983年の第15回全日本大会で優勝しました。

 見かけはごついのですが、子供のころから喘息(ぜんそく)の持病を持っていたりして、本質的には弱い面がありました。

3. 猪谷さんと同様に大会の2ヵ月前、肝炎で入院しました。  肝炎にかかると、なるべく体を動かさないようにしなければなりません。  でも、見舞いに行くと、ベッドの下にダンベルが隠してあって、それを持ち上げたりしていました。  

 1ヵ月前にはどうにか退院できたのですが、けっして万全の体調というわけではありませんでした。

4. 大会では、決勝戦以外はほとんど一本か技有りを取って勝ち進んだのですが、実は1回戦で対戦者の道着に右足の親指をひっかけて、骨折していました。

 1日目の夜に外科に連れて行き、添え木をしたのですが、動きにくいということで最終的にははずして試合にのぞみました。

 夜も、痛みでほとんど眠れなかったと思います。

5. 大西は私の弟子でしたが、本当に多くのものを学ばせてもらいました。  

 特に、第15回大会では 「 どんなに体調が悪かろうが、ケガをしようが、勝つ時には勝つ。 」 ということを目の前で見せてもらいました。

6. そんな大西でしたが、2003年1月に肝炎から進行した肝臓ガンで亡くなりました。   
 まだ45才の若さで、まさに 『 好漢(こうかん)、逝く 』 でした。 

7. 昨日は、城西OBの支部長の忘年会で、松井館長にも出席していただき、楽しいひとときを過ごすことができました。  

 大西の魂も一緒に参加していたかもしれません ( 合掌 ) 。

 

 

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