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木村政彦先生

先週と今週の中国出張中、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(増田俊也著 新潮社刊)を読みました。

1.ウィキペディアで本書を検索しました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①昭和12年から全日本柔道選手権を13年連続で保持、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」「鬼の木村」と讃えられ、15年間不敗のままプロに転向した史上最強の柔道家木村政彦の生涯を、取材執筆に15年以上かけて追っている。

②柔道経験者である作家、増田俊也が、尊敬する柔道家木村政彦の名誉を回復するために、昭和29年(1954年)12月22日に行われたあの木村政彦VS力道山(いわゆる「昭和の巌流島」決戦)の真相を追う。

③力道山との「昭和の巌流島」決戦では引き分けの約束ができていたが、力道山が突然ブック(プロレスの試合進行の台本)を破り、力道山の張り手連打で木村は血まみれになってKOされてしまった。

④試合翌日の新聞はどれも1面トップでこの血の惨劇を報じた。  全国民の前で恥をかかされた木村は、柔道の現役時代に天皇から下賜された短刀を手に力道山を刺し殺すために付け狙うが、結局はそれを思いとどまる。

⑤柔道時代に培った名誉をけがされながら力道山を刺し殺して決着を着けず、苦しみ抜いて後半生を生き続けた木村政彦、木村を蹴落として国民的スターに登り詰めながらその絶頂期の昭和38年(1963年)に喧嘩で刺し殺された力道山。

⑥木村政彦の生涯を追う過程で明治期から大正、昭和、平成にかけての柔道史と、世界の総合格闘技史、空手史、合気道史、ブラジリアン柔術史、プロレス史など、あらゆる格闘技史を貫くストーリーとなっている。』


2.晩年の木村先生と奥様の斗美さんに関する記述から抜粋して紹介します。

『妻斗美は絶対に力道山戦のことには触れないようにしていた。  妻として、ずっと木村の苦しみを側で見続けていた。

(大腸がん手術の)リハビリのために、夫婦で毎日散歩をした。

ある日のことだ。

いつものように二人で堤防を歩いていると、木村が「これでよかったよね」とぽつりと言った。

見ると、木村は泣いていた。

「これでよかったよね・・・・・・」木村がまた言った。

涙はあふれ続け、頬を伝って落ちていく。

長く苦しい木村の後半生をずっと近くで見てきた斗美は黙ってうなづいた。  「力道山を殺す」と言って短刀を手にしたときから、ずっとその煉獄(れんごく)の苦しみを見てきたのだ。』

701ページ・二段組みの大著ですが、木村先生全盛時の猛稽古、ブラジルでのエリオ・グレイシーとの戦い、若き日の大山倍達総裁との交流など興味深い記述が沢山あります。  一読をお勧めします。

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