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負けてもいい・・・

教育・人間の育成に関して考えさせられる文章を2つ読んだので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

1.毎月一回、ソフトブレーン株式会社から創業者・宋文洲さんのメルマガが送られてきます。  今日のタイトルは『負けてもいい・・・』でした。

『①「北京に戻りたくない」。  休暇が終わる前日から、息子が呟き始めました。  親としての自分は迷いがない訳ではありませんが、3年前からその迷いを振り切って子供達を北京のインターナショナルスクールに入れました。  

②(中略)  要は日本の教育は強い人間を育てないと私が思った次第です。  優しさ、思いやり、平等、公正・・・一般論でいえば、日本の学校は中国の学校よりはるかに良いと思います。  しかし、日本の学校には競争およびこれに伴う挫折の体験が少なく、当然その挫折から立ち直るための体験や教育もできません。  

③(私の子供が通う学校では)一年に一度の運動会も競争に意欲満々の上、何らかの項目に勝てそうな生徒を選んで入場式や試合に参加させますが、意欲がなく弱い子は席に座って応援することになります。  どうしても嫌だったら学校に来なくてもいいと言われる始末です。

④読者の皆さんがどう思うかは想像できませんが、私にとって全然苦痛のことではありません。  昔、私(宋さんは中国出身)も同様な環境下で育ったので運動会というのはそんなもんだと思ったからです。  参加したい人、強い人が競争し合ってクラスや学級にメダルや優勝旗を勝ち取ります。

⑤子供がついていけない時や競争に負けた時、私はチャンスだと思っています。  頑張って挽回するのもいいですし、自信を失い苦しむのもいいです。  だって大人の世界はそればかりではありませんか。  先生が乱暴だといっても私は気にしません。  なぜならば社会に出ると上司と顧客に乱暴な人が多いからです。

⑥競争に勝つのは競争に参加する目的ではありません。  競争に慣れること、負けてもやっていけることこそ、競争参加の目的です。

⑦オンリーワンを通してもいいですし、個性的で好きなことをやってもいいです。  しかし、どんなことをやっても結果として競争に参加しなければならないことは多いのです。  負けるのが嫌で競争アレルギーを持つ人はオンリーワンも個性も守り通すことができません。

⑧「世界に一つだけの花」。  SMAPのこの歌の中国語バージョンもあります。  その歌詞は微妙に違います。  日本語の歌詞には「負けてもいい、俺がオンリーワンだから」に聞こえますが、中国語歌詞は「負けてもいい、立ち直って取り戻すから」に聞こえます。』

極真空手の試合はトーナメント形式で行われます。  ということはチャンピオン以外は全員負けることになります。  でも負けから学ぶことがたくさんあります。


2.内田樹先生のブログ『内田樹の研究室』4月19日のタイトルは『人災の構図と「荒天型」の人間について』でした。  

『①東日本大震災から1年を経過して、これが「天災」であるより以上に「人災」であるという印象を私たちは抱いている。  「天災」は自然現象であり、私たちにはそれを防ぐ力がない。  「人災」は人間の力で統御できるし、しなければならない災禍である。  その災禍の広がりを防げなかった。

②「人災」を用意したのは私たちの社会を深く蝕んでいる「無根拠な楽観」である。  「晴天型の世界観」と言ってもよい。

③私たちはある「枠組み」の中で「ゲーム」をしている。  賭けられているものは権力とか財貨とか文化資本とか、いずれにせよ「価値あるもの」である。  そのやりとりのゲーム、誰かが勝てば誰かが負ける「ゼロサム」の競争をしている。  そういう考え方が「晴天型の世界観」である。  ゲームに夢中な当人は「これこそリアル・ワールドの生存競争」で、自分ほどのリアリストはいないと思い込んでいる。

④彼は競争に夢中になっているアスリートに似ている。  フィールドがあり、ルールが決められ、審判がいるゲームをしているものにとってはたしかに「勝ち負け」が何より重要である。  だが、アリーナがゴジラに踏みつぶされたり、地割れに呑み込まれたりするときには、「生き延びること」がそれに優先する。

⑤そのような想定外の危機のときでも、適切にふるまって、人々に適切な指示を与えて、被害を最小化することのできる人間がいる。

⑥国際関係論では、「管理できる危険」を「リスク」、「管理できない危険」を「デインジャー」と呼び分ける。

⑥「晴天型」の競争主義者は「負けるリスク」のことしか考えない。  だから「デインジャー」については何も考えない。 「グローバル競争」とか「グローバル人材」というような言葉をうれしそうに口にするのはこの類の人間である。  このタイプの人間は危機的局面では腰を抜かしてものの役に立たない。

⑦震災と原発事故は、私たちの国の基幹的な組織が「デインジャー対応能力」のある人間を重用する習慣を失って久しいことを露呈させた。  むろん、単独の行動者としては散在していた。  その人たちが自己判断・自己責任でシステムの全的崩壊を局所的ではあるが防いだのである。

⑧社会の「柱」を支えている制度の内側でも、心ある人は「どうふるまっていいかわからないときに、どうふるまっていいかわかる人間」、マニュアルもガイドラインも「上からの指示」もないときに、適切にふるまって、人々を救うことのできる人間とはどのようなものか、どのようにして育成できるのかを真剣に考え始めていると私は思う。

⑨今のところは願望に過ぎないが、それに取り組まない限り、「人災」はさらに規模を拡大して繰り返し私たちを襲うことになるだろう。』

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