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墓参り

5月4日のみどりの日に私の父方の墓参りに行きました。  年に3~4回墓参りすることが習慣になっています。  墓参りをするとなぜかすがすがしい気持ちになるから不思議です。

伊勢-白山道さんが5月15日のブログで墓参りについて書かれていました。  タイトルは『継続が証明します』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「それは偽善の感謝だ」などと屁理屈を思う人がいます。  しかし、それも「継続」して思うことが出来れば、その人は真実の感謝の気持ちを発しています。  ほんとうに偽善の感謝ならば、継続が出来ないのです。

②つまり、すべての真実は、「継続」が証明をする一理が存在します。  先祖供養でも、まったく同じです。  「自分のため」や自分の願いのための先祖供養は、必ず飽きて供養を止めることに成ります。  先祖供養が継続する人は、「先祖のため」の供養をしていることに成ります。

③自分が行う先祖供養は、ほんとうに届いているのか?と心配する人は、まだ「自分のため」の先祖供養をされています。  これはムダなことを自分はしたく無いという裏返しです。  だから自分のための供養に成ります。

④「先祖のため」の先祖供養を行う人は、先祖に届く・届かないという懸念すら浮かばないのです。  たとえ届かなくても、先祖や縁者に「供養をしてあげたい」という自分の気持ちの発露からなのです。  そこには、届く・届かないという「駆け引き」が存在しません。  自分から「与える」一方通行なのです。

⑤霊的には、ほんとうに先祖に供養が届いていれば、なんとなく休みながらでも供養が継続するのが霊的真実です。  先祖に届かない供養は、継続が出来ないのです。  どこかに勘違い・間違いが在ります。  やはり供養の「継続」が、届く・届かないの答えを示しています。

⑥ブログの継続にしても言えることがあります。  私が継続出来るのは、内在神からの発露を表現したいからです。  べつに苦労することなく、湧き水のように毎日「思い」が出て来ます。  これは、内在神からの発露が本当に無ければ、毎日の記事更新やコメント対応は、非常に難しいことだと思います。

⑦だから皆さんも、今の自分が何を毎日「継続」しているのかを見れば、自分を正しく静観することが出来ます。』

私の家内は自分の父方・母方ともに毎月墓参りに行きます。  墓が都内にあるという事実を差し引いても継続するのは大変です。  と、今日はカミさんを持ち上げてみました(笑)。

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