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全気全念

『全気全念』という言葉があります。  幸田露伴が1912年に書いた『努力論』の中に出てきます。  ネットで渡部昇一先生が編述された現代語訳を見つけたので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①散る気の習癖を取り除く方法を、さらに進めてみよう。  簡潔にいえば、やるべきことがあったら、やってしまうのである。  思うべきことがあったら、思ってしまうのである。  やるべきことでも思うべきことでもなかったら、そんなことはいっさい投げ捨てることである。  (中略)

②こういう習慣が身につけば、何事によらずテキパキと片づけるようになる。  朝起きる、雨戸を繰り開ける、電灯を消す、布団をたたむ、服を着替える、部屋の掃除をする、洗面所に行く、朝飯を食べる・・・・・、けっこう面倒だが、慣れればだれにでも簡単にできることである。  しかし、集中してハキハキ片づけられない人は、何歳になっても布団は丸く積み、掃除は埃を立てるだけ、トイレではいつまでも考え事をして時間をつぶしてしまう。  これ、はできないのではなく全気全念で集中してやらないから、うまくできないのだ。
 
③豊臣秀吉が信長の草履取りをしていたとき、どういう働きぶりをしていたか。  よく知られている通り、どんなにつまらない仕事でも全気全念を集中して、手を抜かずにやり遂げたからこそ大抜擢されたのだ。  われわれ凡人は、たとえば箒の使い方など、取るに足りないことは「いい加減にやっつけろ」ということになりがちだ。  ところが、取るに足らないと思われることさえできなくなって、どうして大きな仕事ができようか。  これも積もり積もって何のみのりもない一生が終わってしまうのである。  (中略)
 
④そのつまらぬことに対して、全気全念をもって立ち向かう健全純善なきの習慣は、やがて確たる偉業を打ち立てることにつながるのである。  儒教でいう《敬》というのが、すなわち全気全念で事に従うことであり、そして道教でいうところの《錬気(呼吸をととのえ心気を練る)》の第一歩が全気全念を保持することなのである。
 
⑤この造作もない日常のつまらぬことが、ちゃんとできるまでには多少の修業が必要だ。  しかし一度身につけたら、水泳と同じことで水に入れば自然に体が浮かぶように、容易にできるようになるのだ。  机の前に座るだけが修行ではない。  日常一日中、何事をなすにも気を集中させるのだ。  暗闇の中で脱いだ下駄は暗闇の中でも履くことができる。  しかし全気を入れて脱がなかった下駄は明かりをつけても、すぐにうまくは履けないものだ。 
 
⑥何事においても、全気で取り組んだとき、どんな具合に進行展開して、そしてどのような結果になったか見届けることだ。  そうすることによって、刹那刹那、秒秒、分分、時々刻々に当面することと、全気で対応することができるようになる。  こうなるとしめたもの、いつの間にか《散る気》の習癖は消え失せてしまっているであろう。』

私も『全気全念』を旨として生きています。  ただ、たまに疲れる時もありますけどね(笑)。


 

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