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シュリーマン旅行記

『シュリーマン旅行記』(H.シュリーマン著 講談社学術文庫)を読みました。  


1.シュリーマンの略歴をネットで検索し、番号を付けて紹介します。

『①ハインリッヒ・シュリーマン(1822~90)。  ドイツの考古学者。  ミュケナイ文明とミノス文明の発見者。

②北ドイツの貧しい牧師の子に生まれたが、少年時代にホメロスの物語に魅了されてトロイアの都の実在を信じ、その発掘を決意する。  しかしその前半生は独立のための富の追求のうちに過ぎる。

③中学を終えると小売店の小僧、徒弟、下級船員、商社の社員などの職を転々としながら、少年時の夢を堅持し、また十数ヵ国語を習得する。

④ようやくロシアにおいて巨富を得ると実業の第一線から退き、自力による初志の実現に没入する。』


2.木村尚三郎先生が書かれている巻末の『解説』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ハインリッヒ・シュリーマンがトロイア遺跡を発掘したことは、わが国でもじつによく知られている。  その彼が、中国につづいて幕末の日本を訪れ、しかも本書のような旅行記を書いていたこととなると、全くといっていいほど知られていない。  

②世の中が明治に変わる三年前、1865年6月1日から7月4日までの1ヵ月間がシュリーマンの日本滞在期間であった。  

③本書の前半は清時代の中国の旅に充てられ、万里の長城、北京、上海が叙述されている。  (中略)  中国についての、著者の全体として批判的な筆致と日本についての絶賛にも近い筆致とは、鮮やかな対照をなしている。』


3.シュリーマンは日本では横浜に滞在しましたが、6月18日から当時の絹の生産地であった八王子に旅をしています。  行く途中で休憩した横浜の・豊顕寺についての記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①境内に足を踏み入れるや、私はそこに漲る(みなぎる)このうえもない秩序と清潔さに心を打たれた。

②大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾り立てた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽廃(たいはい)的だったから、 嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺は、鄙(ひな)びたといってもいいほど簡素な風情であるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺(うかが)われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。

③どの窓も清潔で、桟にはちりひとつない。  (中略)  老僧も子坊主も親切さとこの上ない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。』


4.前半部分はシュリーマンの中国の旅で、1865年4月20日・上海出発、23日・煙台、27日・天津、30日・北京、5月2日・北京出発し万里の長城へ、となっています。  その後、北京から天津を経由して上海に戻ります。  5月29日に上海を離れ、6月1日に横浜へ到着しました。


月曜日から『煙台』出張で、来月16日からは『天津』『北京』に行きます。  そして、明日は『横浜』の馬車道で横浜川崎支部の道場開き・パーティーです。

このオチってどうなんだろ~(笑)

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