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広田弘毅

1.先日、川島智太郎と広田弘毅(ひろたこうき)の『風車(かざぐるま) 風が吹くまで昼寝かな』という句について話をしました。


2.広田弘毅について「Yahoo!百科事典」から検索・抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①広田弘毅(1878~1948)  福岡県に生まれる。  生家は貧しい石屋。  東京帝国大学法科卒業後、外務省に入り、欧州局長、オランダ公使を務め、1930年・駐ソ大使となった。

②1933年・斎藤実(さいとうまこと)内閣の外相、1935年・岡田啓介(おかだけいすけ)内閣の外相。

③1936年の二・二六事件後、首相となり広田内閣を組織した。  1937年・第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の外相。  1938年、外交転換のため更迭された。

④敗戦後A級戦犯容疑者とされ、1948年11月・極東国際軍事裁判で文官中ただ1人絞首刑の判決を受けた。  1948年12月23日刑死。』


3.『「生き地獄」脱出法』(向谷匡史著 東邦出版)に広田弘毅についての記述があったので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(前略)  話を外交官時代にもどす。  いずれは外務大臣と将来を嘱望されていた広田は1927年、突如としてオランダ公使として海外に出される。  当時、日本とオランダは通商が結ばれておらず、これはあきらかに左遷であった。  (中略)

②「なぜ、俺が!」と広田には無念の思いもあったろうが、それを口に出してはいない。  我が身を風車に見立て、心境をこんな一句に残してオランダへ赴任していく。  「風車 風が吹くまで昼寝かな」

③どんなに努力しようとも、風が吹かなければ風車は決して回ることはない。  だからヤケになったり、焦燥したりするのは愚かなことで、昼寝でもしながら風が吹き始めるのを待つがよい・・・という意味だ。  (中略)

④やがて風車は回り出す。  3年後の1930年、駐ソ大使を務め、1933年9月、斉藤内閣の外相に就任。  さらに外相を務めたのち総理大臣になる。』


徐々に涼しくなってきました。  明日は城西カップ(同日の昇級審査会は山辺師範代に任せます)、明後日は墓参りです。

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