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修徳

1.『気功』(寥赤虹・寥赤陽著 春秋社)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①気功の修練には二つの内容がある。  一つは「練功」といい、身体の健康レベルや能力などを高めることであり、もう一つは、「修徳」といって、道徳心を高めることである。  合わせて「功徳」という。

②老子、釈迦、イエスなどの修練の達人はみんな道徳のことを強調していた。  老子の『道徳教』は「道教」と「徳教」の二つの部分から構成され、「徳教」は「道教」の前に置かれた。

③そのため、三人とも現代の学者に道徳家と見られている。  しかし、三人は単なる道徳家ではなく、偉大な修行者でもある。  彼らが道徳を強調するのは修練上、それなりの理由があるのである。

④普通の人ならば、自分のために他人に害を加えようとすれば、法律のような社会的裁きを下される。  しかし、ある程度の能力を得た人にとって、法的裁きのできる枠以外で他人に害を加えることも不可能ではない。

⑤たとえば、筆者および(筆者が指導する)無為気功教室での練習者の経験からいえば、気功の状態で遠隔の地にいる患者を癒すことは確かにできる。

⑥同様の方法を逆用して、遠く離れた場所の他人の身体を壊すことも可能であろう。  しかし、もしこうした能力を思うままに使えると思ったら、わが身を破滅へ導く第一歩になる。

⑦この自然のなかに存在するあらゆるものは、すべてこの自然の法則に拘束されている。  たとえ法の裁きのような社会的拘束の枠を超えたとしても、いわゆる天地神明(てんちしんめい・・・天地の神々のこと)がいる。  

⑧自然の仕組みを壊すものは必ず自然の仕組みに仕返しされる。  また、その罰の軽重はその人の能力に比例する。  練功のレベルの高い人にとっては、悪い考えを持つだけで罰を受けることがある。

⑨練功の唯一の安全保障は「修徳」である。  つまり、絶えず自分の修養を高めていくことである。』


2.21日に行われた西東京都大会で次のような話をしました。

「極真空手の修行を通じて肉体的に強くなると同時に、精神的にも強くならなければなりません。  その精神的な強さとは、頑張ること・あきらめないこと・礼儀正しいこと・感謝すること・素直であること・他人に思いやりを持てること、などです。」

1.で紹介した「修徳」の重要性を言ったつもりです。

もちろん道場内だけで礼儀正しいのではなく、道場を離れた日常生活全般で礼儀正しくなければ意味がありません。

最近、年齢を重ねてもわがままな人・仏教修行しても独りよがりな人・空手の有段者でありながら近所に迷惑をかけている人、の話を見聞きしました。

年を取ったり、宗教や武道を修行しただけで人間性が高まるわけではないようです。  自分自身の中に常に人間性を磨いていこうとする気持ちが必要だと思います。

自戒を込めて(笑)

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