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幸福

『憂鬱になったら、哲学の出番だ』(田原総一朗・西研著 幻冬舎)を読みました。  田原さんと哲学者の西さんとの「対話篇」から抜粋し、紹介します。

『田原・・・絶対的な真理がない以上、哲学は真理を見つけようと努力するプロセスですね。  プロセスだから、答えを出したら意味がない。

西・・・でも、かなり深く普遍性のあるところまで考えを突き詰めることもできるのです。

田原・・・「かなり」はいいですが、「絶対」はないでしょう。

西・・・絶対というのは難しいし、逆に答えを出してはいけないものもあるんですね。  ぼくがよく挙げるのが「幸福とは何か」です。  幸福とは何かについて、他人が決めてはいけないでしょう。  自分が生きるなかで、幸福とはどんなものかを探っていくものですから。

田原・・・だから、その「幸福」の代わりに「哲学」を置いてもいいのではないですか。

西・・・ところが、「人はどういうときに幸福だと感じるか」についてみんなで議論してみると、意外にバラバラではないのです。

田原・・・そうですか。

西・・・たとえば、自分の親しい人が自分のことを本当に大事に思ってくれていることがわかったとき、とてもうれしいし、幸福だと思う。  あるいは、自分が大事だと思った仕事をやりとげたとき、やっぱり幸福だと思いますね。

田原・・・いや、もっと大事なのは、生活できることではないですか。  今日、ご飯が食えないのでは、幸福ではないですよ。

西・・・そういう幸福の条件もありますね。  幸福にはいくつかの条件や種類があるわけで、そういうことを考えることはできるし、そこに共通点ないし普遍性を見つけることもできるはずです。

田原・・・ぼくは今、79歳だけれど、この年まで生きてきて、幸福とは信頼だと思っています。  他人からいかに信頼されるか、他人をいかに信頼できるかということ。  もちろん、最低限の生活ができることが前提ですけれど。

西・・・その考えには共感します。  信頼という言い方はすごくいいと思う。

田原・・・「それが徳かな」という感じがします。  もっと言うと、ぼくを批判する人からも信頼されるとき、とても幸せだと思います。

西・・・それはすごい。  批判する人からも信頼される、というのは素晴らしいですね。  だから、「幸福とは何か」という問いに絶対の正解を出すことはできないし、出してはいけないけれども、「人が幸福と感じるのはどういうときか」 「幸福の大事な条件って何だろう」と考えてみることはできる。  みんなで議論をして、お互いの体験を語り合っていくと、そこに「他人から信頼されたり、信頼したりすること」というような共通項が出てくるのです。  この共通項を取りだすのが哲学なのです。』

日曜日は大会・審査会などのイベントがなければ、このブログを書く以外は家でゴロゴロです。  寝転がりながら買いためておいた本を読み、眠くなったら昼寝をする。  私がもっとも幸福を感じる瞬間です。

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