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徳川家康と大賀雅裕

1.日本史の本を2冊読みました。  徳川家康に関する記述をそれぞれから抜粋し、番号を付けて紹介します。

(1)『日本史の謎は「地形」で解ける』(竹村公太郎著 PHP文庫)

『①徳川家康ほど歴史や先人に学んでいる武将もいない。  豊臣秀吉は信長の猿真似をしたと言われているが、それどころでない。  家康は信長に学び、秀吉に学び、さらに源頼朝にも学んでいる。

②頼朝に学んだものは、権威と権力との分離であった。  つまり、(朝廷のある)京都から遠く離れた江戸での権力樹立であり、それは頼朝の鎌倉(幕府)という前例に学んだ。

③権威者は権力を振るわず、権力者は権威を転覆しない「権威と権力との分離」が家康によって成し遂げられた。』


(2)『決定版・日本史』(渡部昇一著 扶桑社文庫)

『①(豊臣秀吉の)朝鮮の役の頃、家康は内心、「この出兵は間違っている」と思ったようである。  そして次の天下は自分に来ると確信して、本気で勉強をはじめるのである。  藤原惺窩(せいか)や林羅山を教授にしてシナの古典を学ぶのである。

②例えば『論語』を読めば、徳治政治の教訓が載っている。  (中略)  こうした言葉から、家康は力ではなく徳治の大切さを学ぶのである。

③さらに重要なのは北条政子(源頼朝の正室。  頼朝亡きあと幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。)も読んだ『貞観(じょうがん)政要』である。  家康もまた『貞観政要』を講義させて研究している。

④それから『吾妻(あづま)鏡』を研究している。  (中略)  これは要するに『貞観政要』に書かれた教訓を政治に活かした北条幕府の政治の実情をまとめたものである。  それを家康は学ぶのである。  

⑤振り返ってみると、信長も秀吉も『貞観政要』をじっくり勉強するような暇がなかった。  その点で、朝鮮の役は家康の将来にとってきわめて重要な基礎をつくる時間になったといえるだろう。』


2.10日(水)に恒例の城西出身支部長および関係者と全日本やウェイト制入賞者の忘年会がありました。  何年振りかで大賀雅裕(現・Jネットワーク代表)が出席してくれました。  大賀はかって城西の分支部長として、全日本チャンピオンになった田村悦宏を始めとする多くの強豪選手を育て、そこから10人を超える支部長が誕生しています。

今はキックボクシング団体の代表として活躍しています。  高校卒業後、1979年に茨城支部から同級生だった鴨志田とともに緑帯で移籍してきました。  その後、大西・鴨志田・三和などと共に城西初期の内弟子指導員を務めてくれました。  大西は自らが全日本チャンピオンとなり、大賀が田村・鴨志田が安島とそれぞれ全日本チャンピオンを育て、三和も岡本徹を今の新極真会の世界チャンピオンにしました。  振り返ってみるとすごい内弟子軍団でした。

毎年出席して頂いている松井館長もおっしゃられていましたが、久しぶりに大賀に会えて嬉しかったな~。

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