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一休宗純

日常的にテレビはあまり観ませんが、人物の伝記を中心とした歴史番組がいくつかあるので、「毎週録画」しておいて後から観ることにしています。  先週金曜日のBS-TBS『THE歴史列伝』は一休さんで有名な一休宗純を取り上げていました。

一休宗純(1394~1481)についてネットで検索した内容から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①室町時代の禅僧(臨済宗)。  父は南朝方から神器を受け取り南北朝統一の象徴となった北朝の後小松天皇。  母は藤原一族、日野中納言の娘・伊予の局(つぼね)。

②母が一休を身篭ると、皇位の継承権を妬んだ人々の謀略で、彼女は南朝方と通じていると誹謗され、宮廷を追われることになった。  そして南北統一から2年目の元旦に、嵯峨の民家でひっそり一休を産んだ。  母は子が政争に巻き込まれぬよう、その身を保護する為にも、1399年、5歳の一休を臨済宗安国寺に入れ出家させた。  (中略)

③ 1420年(26歳)5月20日の深夜、一休は琵琶湖岸の船上で座禅をしていた際に、カラスの鳴く声を暗闇に聞いて「カラスは見えなくてもそこにいる。  仏もまた見えなくとも心の中にある」と悟りに至ったという(後の行動から、“禅僧は悟りへの欲求さえも捨てるべき”“悟る必要はないということを悟った”とも言われている)。  (中略)

④ 長年にわたって権力と距離を置き、野僧として清貧生活を送っていた一休だが、1474年(80歳)、応仁の乱で炎上した大徳寺復興の為に、天皇の勅命で第47代住職(住持)にされてしまう。  

⑤「さて、再建費用をどうしたものか」。  一休が向かったのは豪商が集まる堺。  貿易が盛んで自由な空気の堺では、破戒僧一休の人気は絶大だったからだ。  

⑥「一休和尚に頼まれて、どうして断わることが出来ようか」。  商人だけでなく、武士、茶人、庶民までが我れ先にと寄進してくれ、莫大な資金が集まった。  5年後、大徳寺法堂が落成。  (中略)  

⑦当時の平均寿命の倍近い87歳まで長寿して、マラリアで亡くなった。  臨終の言葉は「死にとうない」。  悟りを得た高僧とは到底思えない、一休らしい言葉で人生を締めくくった。

⑧一休は他界する直前、「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、この手紙を開けなさい」と、弟子たちに1通の手紙を残した。  果たして数年後、弟子たちに今こそ師の知恵が必要という重大な局面が訪れた。  固唾を呑んで開封した彼らの目に映ったのは次の言葉だった・・・「大丈夫。 心配するな、何とかなる」。』

番組で解説されていた作家の朝松健さんによると、一休宗純の人気は『驕(おご)らず、飾(かざ)らず、偽(いつわ)らず』というその教えにあるのではないかとのことでした。  上の『大丈夫。 心配するな、何とかなる』とともに座右の銘の一つにしたいです。

25日の日曜日は高崎で高橋祐太選手の結婚式でした。  次の日曜日は審査会です。  翌日の2月2日(日本時間)はNFLのスーパーボウルです。  

19日のAFCカンファレンス・チャンピオンシップでニューイングランド・ペイトリオッツ はインディアナポリス・コルツに45対7と大勝しました。   スーパーボウルではNFCチャンピオンのシアトル・シーホークスと対戦します。  ペイトリオッツの10年ぶりの優勝なるか、あるいは昨年の覇者シーホークスの連覇なるかという戦いです。  もちろん私はペイトリオッツです(笑) 


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