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貞観政要

1.『帝王学 「貞観政要」の読み方』(山本七平著 日経ビジネス文庫)を読みました。  『貞観政要(じょうがんせいよう)』をネットで検索・抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①唐の太宗(李世民)とそれを補佐した名臣たちとの問答集である。  「遣唐使」の唐の二代皇帝が李世民なのだ。
 

②「貞観政要」は太宗の没後四、五十年経った頃に史家・呉兢が編纂したもので、東洋において「帝王学」といえばこれを指すほどの名著とされる。

③太宗は唐の初代皇帝・高祖(李淵)とともに中国を征し、二代に就いた際に民生の安定に力を注がなければならなかった。  そんな時代に「貞観の治(626~649年)」を成し遂げた明君である。
 

④とくに「守成」に心を砕いたことがわかる書物である。  「守成」とは「創業」と対をなす言葉で、立ち上げる「創業」に対して、権力を維持する「守りの政策」を指す。  (中略)
 

⑤たとえば店を始めるのが「創業」であり、何年先も操業していくのが「守成」であるといえる。  つまり「潰さないための政策」なのだ。  次代へとバトンを渡すためにも「守成」は不可欠である。

⑥北条政子や徳川家康も惚れ込んでいて鎌倉幕府と江戸幕府が長年治世を保ちつづけたのも「貞観政要」の賜物だったようだ。
 

⑦織田信長や豊臣秀吉は「守成」に疎くてほぼ一代で潰えたが、「守成」を旨とした徳川家康が江戸幕府を永らえさせた事実を見ても明らかだろう。』


2.『帝王学 「貞観政要」の読み方』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①北条政子が翻訳させて「貞観政要」を読んだのは、おそらく(先に亡くなった夫)源頼朝が読んだからであろう。  幕府の施政方針には明らかにこの言葉が反映している。

②頼朝は奢侈(しゃし・・・度を過ぎてぜいたくなこと)は滅亡のもとと思っていた。  もちろんそこには「おごる平家」という反面教師があったであろうが、それだけではあるまい。  

③さらに北条泰時や時頼となると、質素こそ政権を維持する道と思っていたらしい形跡がある。  また極力、少ない人員で政務を処理しようとしているが、これもまたその影響であろう。  

④そして、家康にもこの生き方があり、彼は秀吉のような豪華な振る舞いはしていない。  幕府政務の要員も出来る限り少なくし、組織的には三河の小領主の時代とほとんど変わっていないといってよい。

(2)①太宗の言葉は、次のように進む。  (中略)  栄貴などは問題にするに足りない。  結局、問題となるのは徳行であり、その人への評価は最終的には「人格的評価」だけであり、ドラッカーの言葉を借りれば「品性」であろう。

②このあたりの太宗の考え方は、内村鑑三の「後世への最大遺物」※に通ずるところがある。  いわば、その人が後世に遺しうるものは「高尚なる人格に基づく生涯」だけであり、それ以外には何もない。

③そして後代の人が評価するのも実はこの点だけである。  それなるが故に、人は桀紂(けつちゅう・・・暴君の代名詞である夏の桀王・殷の紂王)のような奴だといわれれば怒り、顔回・閔子騫(がんかい・びんしけん・・・孔子の弟子で徳行で有名)のような人だといわれれば喜ぶわけである。』


※「後世への最大遺物」をネットで検索・抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「後世への最大遺物」は明治27年(1894)7月、箱根で催された講演の記録である。  内村鑑三はこの講演会で、これから生まれてくる人々や社会のために何か残せないだろうか?ということについて話しをする。

②金を残して人々のために孤児院を建てたり、大事業を成して人々の役に立ったり、思想を打ち立て精神の充実に貢献したりと後世に残すものはいろいろある。  しかし、 誰もが同じように後世にこれらのものを残せるわけではない。  何も残せない場合はどうするか?

③そこで、内村鑑三は言う。  「勇ましい高尚なる生涯」を送ることが、後世に残せる最大の遺物であるとするのである。  「勇ましい高尚なる生涯」というのは、一体どのような生涯か?  この講演の締めくくりの言葉が最も簡潔に その意味を表しているのでそこを下記に引用する。

④ 「われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。』




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