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李世民

1.前回のブログで『貞観政要』をネットで検索し、次のように書きました。

『①唐の太宗(李世民)とそれを補佐した名臣たちとの問答集である。  「遣唐使」の唐の二代皇帝が李世民なのだ。
 

②「貞観政要」は太宗の没後四、五十年経った頃に史家・呉兢が編纂したもので、東洋において「帝王学」といえばこれを指すほどの名著とされる。

③太宗は唐の初代皇帝・高祖(李淵)とともに中国を征し、二代に就いた際に民生の安定に力を注がなければならなかった。  そんな時代に「貞観の治(626~649年)」を成し遂げた明君である。』


2.今週・火曜日までの中国・山東省・煙台への出張の機中で『李世民 上・下』(塚本靑史著 日経文芸文庫)を読みました。  下巻に皇帝世民が三蔵法師に儒教・道教・仏教の違いを質問しているくだりがあります。  三蔵法師はそれぞれ次のように答えます。

①儒教・・・我々の生活指針や道徳を示してくれます。  お役人が休まず遅れず出勤して、分をわきまえ、与えられた職責を全うするなどという、日々の行動がこうして生まれております。  それは農民も職人も同じ理屈で仕事に精を出しております。  また、服装や髪型、冠にて身分を示すのも同じことです。

②道教・・・休日の行動です。  決まった事をするのは、仕事における鍛錬になり、速さと正確さが養われます。  しかし、人というものは、たまには、いつもと違うこともしてみたくなるものです。  だから、沐浴(もくよく)の休日は一日何もせず暮らしたり、野山で何も考えずのんびりしたくなる。  これが道教の基本と申せましょう。  また、薬草を採取して、病を克服するも道教の教えかと存じます。

③仏教・・・文字どおり仏の教えです。  儒教も道教も、生きている者たちがどのように社会を支えるか、あるいは肉体や精神を落ち着かせるかに主眼を置いているのに比べ、仏教は魂の救済を目的といたします。  仏とは、生前から今、そして死後までも魂を救済する存在です。  

「この世以外にも、世界はあるのか?」という皇帝世民の質問に答えて・・・仏の教えでは、そうなっております。  そのように考えねば、永遠に救いはございませぬ。  生きている時だけの幸せならば、好き放題暴れればいいことになりかねませぬから。


3.『勝者』

①男がレストランでゆでたカニを注文した。  しばらくして運ばれてきたが、見るとカニの脚が1本欠けていた。

②男「おい、このカニは脚が足りないぞ」

③ボーイ「きっと水槽でカニ同士が喧嘩をしたんでしょう。  こいつは脚を一本取られて、負けたんですよ。」
 

④男「なら、勝った方のカニを持って来い」

⑤ボーイ「いや、それがどいつか分からないんです。  みんなVサインをしてますもんで」(週刊新潮)

2月12日に配信された本郷孔洋先生のメルマガに載っていました(笑)

明日は西東京都大会です。


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