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徳川家康

本郷孔洋先生がブログで紹介されていた『獄中の人間学』(古海忠之・城野宏著 致知出版社)を読みました。  

古海さんは昭和7年に大蔵省から満洲国政府に派遣され、戦後はソ連・中国で計18年の禁固生活を送ります。  城野さんも昭和13年東大卒業後に徴兵で中国に渡り、中国で禁固18年の刑を受けました。  

本書は二人の対談集ですが、徳川家康について語られている部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.古海さんの発言
①家康という男はなにか狸親父とかで、ずるがしこく陰険だという風評だが、実際はそうではないね。  意気に感じて命を張る男だよ。  朝倉攻めの時、秀吉と心中覚悟で殿(しんがり・・・軍隊が退却するとき、最後尾にあって、迫ってくる敵を防ぐ役)軍につきあったのはその証拠だし、その前も武田信玄上洛攻勢で、遠江三方原に迎え撃った時もそうだったね。

②近臣連中がとめるのもきかなかった。  当時、天下無敵を誇った武田軍に、何分の一かの兵力で喧嘩を売っている。  命からがら逃げかえってきたけどね。  あの戦さでずいぶん信長を助けた。  結果としては信玄はその後すぐ病気かなにかで死んでいるからね。

③信長を助けたあとは秀吉に命がけで協力している。  たいした男だよ。  偉大なる政治家でもあったけど、その前に命を張って人に協力する男なんだね。  その信頼感は絶大なものだね。  だからこそ最後には政権が回ってきた。  ずるがしこいだけでは関ヶ原は戦えないね。

2.城野さんの発言
①そのとおりですね。  秀吉と家康を比較すると実におもしろい。  秀吉は育ちのせいもあるが、あまり見栄を張る人間ではなかった。  とくに若いうちは。  

②だから朝倉攻めの殿軍を買って出ても、はじめから逃げ得る計算ができていたと思われる。  名誉の戦死などという考えははじめから持っていない。  それにつきあった家康という人間は大きい。  こちらは犬死を覚悟であったと思う。  

③実におもしろいコンビだと思う。  だから家康は秀吉が生きている間は、全面的に豊臣政権に協力している。  狸親父になったのはその後ですね。』

先週の日曜日、テレビ朝日で徳川家康の特番をやっていました。  その中で家康について、(幼少時に人質となっていた)今川義元、織田信長、豊臣秀吉を裏切ることは一度もない『律義者(りちぎもの・・・義理がたく実直な人)』だとしていました。

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