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1985年 山下対斎藤

30年前の1985年、柔道の全日本選手権で山下泰裕さんが前人未到の9連覇を達成しました。  3年連続となる決勝対決の相手は今年1月に亡くなった斎藤仁さんです。  この時の模様が4月28日の朝日新聞に出ていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「世界一決定戦」と呼ばれていた。  前年ロサンゼルス五輪で山下が無差別級で悲願の金メダル。  斎藤も95㎏超級で勝った。  山下は引退がささやかれていた。  「最後の決戦になるかも知れない」  そんな思いが会場を包む。

②10分だった決勝の前半は、予想通り。  ともに左組みから斎藤が大外刈り、大内刈りで追い込む。  過去の対戦は組み負けていたが、この日は先んじる。  初の日本一へ、機は熟したかに見えた。

③4分20秒。  試合は大きく動く。  局面打開を狙った山下が、支え釣り込み足を仕掛けた。  瞬間、斎藤が体を寄せて浴びせた。  「ドタンッ」。  無敵の山下が背中からもんどり打った。  

④斎藤が投げたか。  場内が一斉にどよめく。  しかし、主審は「有効」などのポイントは告げなかった。  「山下が自分で技を掛けた腰砕け」と判断したからだ。

⑤斎藤は大会前、指導陣から「2人の差はない。  投げての決着は難しい。  返し技が鍵」と言われ、山下の大外刈りを返す練習を積んでいた。  技は違ったが、タイミングはそのまま。  ポイントはなくても、斎藤はリードを確信した。  しかし、直後にとった行動で、互いの優劣は逆転することになる。

⑥再び正対する前、斎藤が左手を挙げた。  タイムを取り、顔をしかめ、畳に座り込む。  約1分半、右ひざの治療に費やした。  足とともに心を軽くしたかった。  「(優位な)ポイントになったと思い、落ち着かないと、と思った」と後に振り返っている。

⑦一方、この待ち時間は山下に幸運を呼び込んだ。  「助かった。  冷静に戦い方、流れを変える余裕が出来た」。  再開後の後半は攻めに徹する。  大内刈り、内また、大外刈り。  6分過ぎに「指導」がきた斎藤に「技が出ない。  10分は長い」と思わせる猛攻だった。

⑧実は開き直りだけではない勝算が、山下にはあった。  「斎藤が普段は袖を持つ右の引き手で、私の脇をついてきた。  この組手は受けは強いが、思い切った技は掛けられない。  自分も投げるよりも、精神的に重圧をかける感じで先に技を出していけば、相手にミスが出るかもと思った」

⑨結局、技のポイントはないまま試合は判定へ。  副審2人が上げたのは、ともに山下の勝利を示す白旗だった。

⑩副審を務めた元全日本王者、関根忍は鮮明に記憶をよみがえらせる。  「転んだ場面は自滅。  ポイントなし、ということで3人の審判団の見方は一致していた。  後半がイーブンだったら、旗は反対に上げていた」

⑪当時、全柔連強化コーチだった講道館長の上村春樹は「あの頃は体力、気力とも斎藤のほうが上だったと思う。  だが、山下は冷静で存在自体が大きかった。  斎藤にタイムを取らせたのも山下だからこそ。  わずかな差が勝敗を分けた。  全日本は『心・技・体』の勝負の場。  あの決勝は象徴的な試合だった」。』

先日の選手稽古で「局面的に劣勢の場合、戦術をいかに変更するか」という話をしたので、取り上げました。

1985年のこの試合、私は日本武道館で実際に観ています。  当時の状況は感動とともに鮮明に思い出します。  年を取ると、直近のことで思い出せないケースが多くなりますが、古いことは忘れません(笑)

今日は10時からWOWWOWで『フロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオ』です。  楽しみだな~(^^)/

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