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職業としての小説家

『職業としての小説家』(村上春樹著 スイッチ・パブリッシング刊)を読みました。  『第一回 小説家は寛容なのか』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①つまり小説というジャンルは、誰でも気が向けば簡単に参入できるプロレス・リングのようなものです。  ロープも隙間が広いし、便利な踏み台も用意されています。  リングもずいぶん広々としています。  (中略)  しかしリングに上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではありません。

②小説家はもちろんそのことをよく承知しています。  小説をひとつふたつ書くのは、それほどむずかしくはない。  しかし、小説を長く書き続けること、小説を書いて生活していくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業です。

③普通の人間にはまずできないことだ、と言ってしまっていいかもしれません。  そこには、なんと言えばいいのだろう、「何か特別なもの」が必要になってくるからです。  それなりの才能はもちろん必要ですし、そこそこの気概も必要です。  また、人生のほかのいろんな事象と同じように、運や巡り合わせも大事な要素になります。

④しかしそれにも増して、そこにはある種の「資格」のようなものが求められます。  これは備わっている人には備わっているし、備わっていない人には備わっていません。  もともとそういうものが備わっている人もいれば、後天的に苦労して身につける人もいます。

⑤この「資格」についてはまだ多くのことは知られていないし、正面切って語られることも少ないようです。  それはおおむね、視覚化も言語化もできない種類のものだからです。  しかし、何はともあれ、小説家であり続けることがいかに厳しい営みであるか、小説家はそれを身にしみて承知しています。

⑥だからこそ小説家は、異なった専門領域の人がやってきて、ロープをくぐり、小説家としてデビューすることに対して、基本的に寛容で鷹揚であるのではないでしょうか。  「さあ、来るんならいらっしゃい」という態度を多くの作家はとっています。  あるいは誰が新たにやってきたとしても、とくに気には留めません。

⑦もし新参者がそのうちにリングから振るい落とされれば、あるいは自分から降りていけば(そのどちらかが大半のケースなのですが)、「お気の毒に」とか「お元気で」ということになりますし、もし彼なり彼女なりにがんばってリングにしっかり残ったとすれば、それはもちろん敬意に値することです。  (中略)

⑧小説家が寛容であることには、文学業界がゼロサム社会ではないということも、いくぶん関係しているかもしれません。  つまり新人作家が一人登場したからといって、その代わりに前からいた作家が一人職を失うということは(まず)ないということです。  (中略)

⑨しかし、にもかかわらず、長い時間軸をとってみれば、ある種の自然淘汰は適宜おこなわれているようです。  いくら広々としているとはいえ、そのリングにはおそらく適正人数というものがあるのでしょう。  あたりをぐるりと見渡して、そういう印象を持ちます。』

きょうは私たち夫婦の36回目の結婚記念日です。  そして明日は城西カップが行われます。  良い週末を!

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